気分が落ち込んだ時、若者たちを中心として、その精神状態を「へこむ」と軽く称することがある。物体が「くぼむ」という意味からだんだんと転化してきたものだ。その精神の落ち込みを「凹む」と表記することが、携帯(ケータイ)メールやインターネットなど電子メディアの台頭ともに、近年ことに多く見られるようになってきた。
それを用いているのは、やはり若年層が多いようである。学生たちによれば、ケータイでメールを打つ時に、「へこむ」と打って変換を押してみたら「凹む」と出てきたために、それで覚えて使うようになった、とか、友達から送られてきたメールに「気持ちが凹んだ」などと使われていて、それで覚えた、という。ケータイなどで漢字を習得する機会が生じているのだ。
むろん、「へこむ」には、かねてより屈服する、困惑するとか、派生語に「へこたれる」といった語があるように、これと近い意味があり、小説などでも「凹」の字が使われることはあった。「へこむ」は、そこそこ歴史のある訓読みであり、一部の国語辞書の類にも掲載されてきた。しかし、常用漢字表では公認されていない読み方である。「凹む」が流行する前に、そうした国語辞書などの表記を、かな漢字変換のための辞書に流し込ませることもあったのであろう。そういった背景が重なって、ここのところ「くぼむ」ではない「凹む」(へこむ)を目にする場所がだいぶ広まってきたようだ。
印象深い形をした「凹」は、かつては、「漢字ではなくて記号なのだ」などと言われることさえもあった。私は中学で、数学(図形)の女性教員に、「これは漢字ではなくて日本で作られたものだ」と聞かされた。ともあれ、その後、常用漢字に採用されたために、音・訓、さらにはクラスによっては画数や書き順(筆順)までも習うことがあるようで、さすがに記号とは思われなくなってきたようだ。
常用漢字では、「凹レンズ」「凹版」とか「凹凸」(オウトツ)などのほか、熟字訓として「凸凹」(でこぼこ)が認められている。いかにも対と一目で分かる「凸」が強く意識されるのであろう。そのため、「凹む」気分があるのだから、きっと対義語が何かあるはずだと思われるようだ。インターネット上でも、とりあえず「凸む」と打ち込んでみてから、さてこの読み方は、といろいろ試みられている。
この「凸」という字もまた、「凹」という字とともに中国から日本へと伝わってきてから、実は「つばくむ」「なかだか」「ふくらむ」など、様々な訓読みや用法を与えられてきた。今日に至るまで、それは続いている。その詳細は多岐にわたるので、またの機会に譲りたいが、そうした営為の一端と見ることができれば、これらの思いつきとも思える、またパソコンやケータイの機能的な影響による浅薄とさえ感じられかねない展開も、漢字の歴史の先端を担う意味をもっていると思えてくるのかもしれない。