愛知県で、「「はざま」と言って思いつく表記は?」と問うと、その地の小地名に見られる「廻間」は、さすがに出にくいようだった。しかし、やはり名古屋市内の桶狭間の「狭間」は多く出た。桶狭間の戦いも、地元で起こった出来事なのである。奈良や京都とは違った意味で、歴史のある地であることを感じさせられる。前回の「長湫」も、秀吉や家康が地図などで目にしていたことであろう。
ただ、遥かな過去だけが歴史ではない。今現在と思っているこの瞬間も、あっという間に歴史の中に移ろい、過去へと収まっていき、たいていは少なくとも表舞台から消える。現在は、歴史の最前線にあり続けるだけの切片だ、とさえ思える。
「寒い」という表記を「さむい」と読むべきか「さぶい」と読むべきか、迷うとも言う。眠りにいざなう一方通行はやめ、気付きを喚起する講義形態を試みると、こちらも学ぶことが一気に多くなる。「さぶい」は各地で用いられる語形だが、私の周辺ではあまり聞かない。「さびしい」「さみしい」は共通語でも揺れているようだが、「さぶい」という読みには地域性が感じられる。地名や姓のような目立ち方をせず、辞書にもあえて詳細は掲載されにくい情報ではあるが、一回ごとの読字行為の中では確かに存在し、目を開き、耳を傾けてみれば、実は多く見聞される地域訓といえよう。
「金鯱」は、「きんしゃち」とも「きんこ」とも読まれたものだ。国字である「鯱」を後者のように音読みするものは、名古屋城のお膝元ならではの「地域音」であった。この2字の熟語は、名古屋金鯱軍というプロ野球チームも戦前にあり、遊覧船の金鯱号も以前、名古屋港で運航していたし、今でも土産物の名などでは健在である【写真】。すでに記憶には残りにくくなっているようで、若年層からは忘れられかけているようだ。しかし、「鯱」を「しゃち(ほこ)」と読める人は、当地ではやはり多い。なお、人名では、さすが名古屋というか、金偏を付した命名も以前は盛んだったそうで、なおも人名用漢字の要望にも見受けられたほどの土地柄である。
姓には当地の歴史を思わせるものがあったほか、姓に含まれている「藤」は西日本に優勢な「ふじ」と、東日本に優勢な「トウ」がほどよく混在している。同じく「谷」という字は、「たに」と読む学生ばかりで新鮮だが、一般では姓や地名ではみごとに交ざって存在しているそうだ。東日本的な「なかじま」と、西日本的な「なかしま」も、その辺りでは「同居」していて迷うことが多いという。さすが中京地方だ。「高橋」さんは関東に多いが、こちらでも「橋」は姓によく見られる。右上の「夭」を「天」のように書く異体字を、「天橋(てんばし)」というとのこと、これは全国でよくある呼称だろうか。
のどを使った後のビールは、とにかくおいしい。郷に入っては郷に従え、地元ならではのものも食べたい。「ひつまぶし」も頂いた。「ひつまぶし」は地元のたいていの学生たちは「ひまつぶし」には見えない、ということだった。新幹線では、浜松あたりからよく駅の貼り紙で目にするように思われるが、その辺りからの現象だろうか。さすがに、小さいころからこの語形を耳で覚え、目でもこのひらがな表記を見慣れたことによる馴染みが、東京人などの誤読の轍を踏ませなくなっているのであろう。