「体系(system)」の具体例が続きます。
又 Architecture 即ち工造者の語に、symmetry 即ち齊々整々といふあり。其齊々整々とは譬へは今家を建るにも、基礎より柱壁棟に至るまて、條理立て相通し合ひ、殘りなく眞理を極め建るを云ふなり。是等は一工造者の語にて學の規模とは相違せしものといへとも、略此の如きものなり。
(「百學連環」第49段落第1文~第3文)
訳してみましょう。
また、建築家(Architecture)が使う言葉に「均整(symmetry)」がある。これは、きちんと整っている様のことだ。例えば、家を建てるところだとしよう。このとき、基礎から柱、壁、棟にいたるまで、筋が通って〔部分同士〕お互いに通じ合い、漏れなく真理を究めて建てることを言うのである。これは建築家の用語であって、学における「体系」とは違うものではあるが、概ねこのようなものだ。
これは西先生も断っているように、学における「体系」そのものではありません。部分と全体の関係を表す言葉として紹介しているのでしょう。古い日本語に「造工」といって、家を建てることを意味する言葉があります。Architecture の訳語に充てられている「工造」は、「造工」の漢字を入れ替えた形をしていますね。
また、symmetry は、現在ではもっぱら「対称性」と訳されます。特に左右対称形を含意することもあります。西先生が言う「齊々整々」とは、「整斉」とか「斉整」、あるいは「整整」とも通じる言葉で、ものごとがきちんと整っていること。ここで symmetry に言及されているのは、system と通じるものがあるからだと思われます。
つまり、sym- は、前回眺めた system の語源と同様に、古典ギリシア語で「共に」という意味を持つσυν-(シュン) に由来します。また、metry は、μετρησις(メトレーシス)、つまり測ること、測量のこと。「幾何学(geometry)」などにもつながる言葉ですね。συμμετρια(シュンメトリアー)で、部分同士がよき釣り合いを持っている状態、均衡、割合を指しているわけです。参考までに、紀元前1世紀頃のローマの建築家、ウィトルーウィウス(Marcus Vitruvius Pollio)の『建築書』における定義を見ておきましょう。
シュムメトリアとは、建物の肢体そのものより生ずる工合よき一致であり、個々の部分から全体の姿にいたるまでが一定の部分に照応することである。ちょうど人体においてそのエウリュトミア〔美しい外貌〕の質が肱・足・掌・指その他の細かい部分までシュムメトリア的であるように、建物の造成においてもその通りである。
(『ウィトルーウィウス 建築書』、森田慶一訳註、東海大学出版会、1979、12ページ)
西先生のいう「シンメトリー」も、これに近い意味であることが分かります。ですから、ここでは左右対称までとは言わずとも、諸々の部分同士の比率について均整がとれている状態と捉えておけばよいでしょう。そして、これは system とも通底しているという次第です。
次にもう一つ別の例が出てきます。
朱子の定義に春夏秋冬、元亨利貞、仁義禮智、心肝肺腎、東西南北、の春夏秋冬を季候に取り土用を以中とす、元亨利貞を天に取り、仁義禮智を人性に取り、心肝肺腎を人體に取り、東西南北を世界に取り、東西南北の間を中央とす。是等は全く信なきものといへとも亦一ツの規模となせしものなり。
(「百學連環」第50段落第1文~第2文)
今度は漢籍の例です。訳せばこうなりましょうか。
朱子は「春夏秋冬」「元亨利貞」「仁義礼智」「心肝肺腎」「東西南北」を定義している。季節に「春夏秋冬」を区別して土用を中心とする。また、天に「元亨利貞」を、人間本性に「仁義礼智」を、人体については「心肝肺腎」を区別する。世界については「東西南北」を区別して、東西南北のあいだを中央とする。これらは〔今となっては〕信じられないものだが、一つの体系をなしているものである。
ここに挙げられた四つの言葉は朱子に限らず、漢籍を読んでいるといろいろなところで遭遇する言葉でもあります。少し補足してみましょう。
「土用」とは、もともと陰暦の発想でした。一方には、陰陽五行説といって、世界の成り立ちを木火土金水という五要素で説明しようとする捉え方があり、他方では春夏秋冬という四つの季節がある。この両者の辻褄を合わせるために、季節ごとに土用と呼ばれる期間を設けたという次第。
ただし、ここでの土用は、おそらく夏から秋への切り替わり、立春前に置かれた土用のことだろうと思います。例の「土用の丑の日」という場合の土用ですね。西先生のいう「土用」も、春夏と秋冬の真ん中を分ける「中央」という意味ではないかと見たのですが、いかがでしょうか。
「元亨利貞」は説明が必要かもしれません。これは『易経』などで、宇宙(自然)に備わった摂理(徳)のことを指す四要素として挙げられるものです。それぞれの意味については、『日本国語大辞典』の説明をお借りしましょう。
「元」は万物の始め、最高の善、「亨」は万物を生育し通達させる働き、「利」は万物の生育を遂げさせ、各々そのよろしきを得させる働き、「貞」は万物の生育を成就充足させる働き。四徳は、春夏秋冬、仁義礼智などに配当される。四巻でなる書籍の巻次にも用いる。
(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
つまり、宇宙のなかで、万物が生成寂滅しゆく様を説明する原理のようなものです。ついでに申せば、朱子では「天は一箇の大いなる人、人は一箇の小なる天、わが仁義礼智は天の元亨利貞にほかならぬ」(『朱子類語』巻60-27、三浦國雄『「朱子類語」抄』、講談社学術文庫、239ページより)とも言われます。天と人との照応関係を見て、天の摂理たる元亨利貞を、人の性質たる仁義礼智に対応させているわけです(ヨーロッパにおいて宇宙をマクロコスモス、人間をミクロコスモスとして、やはり照応関係が考えられていたことも連想されます)。
また、こうした朱子の宇宙観については、「信じられないものだが」と補足した上で、これもまた「体系(system)」の一種とみてよろしかろうと述べているのは面白いところでもあります。
これは何度目を向けてもよいことですが、西先生は一方で西洋の発想を咀嚼しながら、他方では中国、漢籍の教養を駆使して、これらを並置します。この講義が行われた時代、聴講生たちにとって馴染みがあるのは、後者でありましょうから、当然の配慮かもしれません。しかし、そうした文脈を措くとしても、彼我を比較しながらの議論、少々大袈裟に言えば比較文化論的な視座は、いまもなお物を考える上で重要な姿勢であり続けています。
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即=卽(U+537D)
者=者(U+FA5B)