今回は,岩手県釜石市のJR釜石駅の方言メッセージを紹介します。降り立ったお客を「よくおでんした釜石へ」〔よくいらっしゃいました釜石へ〕でお出迎えです【写真1】。ホームに向かうお客は「またおでんせ釜石へ」〔またいらっしゃい釜石へ〕でお見送りです【写真2】。地方の駅の方言メッセージは,最近珍しくもありませんが,釜石では『ふるさとを見直す』大きな意味があります。
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以前,【写真1】の場所のメッセージは,「鉄のふるさと釜石へようこそ」でした[注1]。釜石は,江戸時代末期に日本の近代製鉄が始まった「鉄のふるさと」です[注2]。それが,平成24(2012)年12月の東北沿岸4駅一斉リニューアル時[注3]に,方言メッセージに替えられました。
平成23(2011)年3月の東日本大震災以降,方言エールの同時多発的使用に象徴される『ふるさと(のことば)の見直し』が各地でありました。釜石でも同様でしたが,他の地域とは趣旨が異なります。他では震災以前も方言の拡張活用が相応にありました。釜石は方言の拡張活用例の少ない土地でした[注4]。明治から昭和に『鉄の町』として発展してきました。製鉄所の従業員など他地方からの転入者も多い土地でした。方言調査で製鉄所の前の道路を指して「あの道から向こう(は,人の生活やことばが違う)」とのご説明もありました。
伝統的方言も勢力があります。震災後は「ふるさと釜石」の見方が強くなりました。第251回「最近の『方言エール』」(【写真4】釜石の復興の印「まる」,【写真5】意思を示す幟(クリックで他の例も表示します))などのように方言の拡張活用例が大きく増えたのです。あらためて「地域語の底力」の大きさ強さが実感されます。
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[注1]第46回「『かきくけこ』―5文字で完結する観光の方言メッセージ―」【写真5】の陸中山田駅の例(東日本大震災で焼失)と同じJR東日本盛岡支社の統一デザインの横断幕でした。
[注2]安政4年12月(1864年1月),大島高任(おおしま たかとう)により日本初の商用高炉が稼動開始しました。
[注3]1日に宮古駅(岩手県宮古市),2日に気仙沼(けせんぬま)駅(宮城県気仙沼市),8日に当駅,15日に盛(さかり)駅(岩手県大船渡市)です。
[注4]釜石の震災前からの方言の拡張活用例は3例みとめます。JR釜石駅待合室の物産展示ウインドー「見だんせ!かまいし」(方言メッセージ:2007年~),地域ラジオ番組「釜石やっぺしFM」(方言ネーミング:2010年~),只越町「まちかど交流館・かだって」(方言ネーミング:2012年~:震災津波で傾斜,解体後「みんなの家・かだって」として再建)です。