地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第1回 田中宣廣さん:「岩手の酒っこ ひゃっこぐしておあげんせ」

筆者:
2008年6月14日
【写真1 岩手の酒っこ ひゃっこぐしておあげんせ】

【写真1】

【写真1】は岩手県で造られた日本酒(720mlビン)です。ラベルには岩手の方言で「岩手の酒っこ ひゃっこぐしておあげんせ」と書いてあります。意味は「岩手のお酒 冷たくしてお召し上がりくださいな」で,このお酒のおいしい飲み方の説明がそのまま名前になっています。このお酒を造った岩手県花巻市(はなまきし)石鳥谷町(いしどりやちょう)の川村酒造店によると,この名前にした理由は,「『岩手らしさ』を前面に出すため」だということです。今回は前半と後半の2部構成で,このお酒に方言で名前をつけたことをめぐるお話をします。

前半は,「岩手らしさ」を出したこのお酒の名前の方言について,四つの部分に分けて説明します。

まず,「岩手の酒っこ」の「っこ」ですが,これは東北地方で広く使われます。食べ物飲み物や動物その他身近なものを表す名詞の後に付けて,親しみを込めたりことばの調子を整えたりします。岩手県では,6月に馬のパレード「ちゃぐちゃぐ馬っこ」,また,8月にお盆の送り火「舟っこ流し」など,「っこ」の付く行事があり,広く日本全国に紹介されているので,「っこ」を知っている人は東北地方以外の人にも多いと思います。お茶は「オチャッコ」または「オジャッコ」,牛は「ベゴッコ」(「ベゴ」=牛)と言います。「どじょっこふなっこ」(泥鰌っこ鮒っこ)という歌は,岩手県のとなりの秋田県で生まれましたが,その「っこ」も同じです。

次は「ひゃっこぐして」です。「ひゃっこぐ」は「冷(ヒヤ)ッコグ」で「冷たく」ということです。ただし,「シャッコグ」(h音がs音になりやすいため)や「ハッコグ」(拗音「ヒャ」の「ャ」が不完全なため)も,「ヒャッコグ」とともによく使われます。また,この部分で「ク」でなく「グ」と濁るのは,北関東から東北地方の方言の特徴の,語中のカ行音とタ行音が濁音になる現象のためです。例えば,「男」は「オドゴ」,「魚」は「サガナ」,「頭」は「アダマ」となります。

【写真2 おすわれんせ】

【写真2】

三つめは「おあげんせ」です。分解すると「お+上げ+ある+せ」で,中心は「お+動詞+ある」です。江戸時代の話しことばの記録にたくさん出てくる歴史のある語法です。現在は,岩手県の中部地域での基本の尊敬語の作り方です。【写真2】はお店の前にあるいすです。この「おすわれんせ」のように街の中の「方言メッセージ」にも使われています。「おすわれんせ」とは「(どうぞ)おすわりくださいな」という意味です。「上げ」は「上げる」で,岩手県地方の「食べる・飲む」の尊敬動詞です。共通語の「上がる」に相当します。岩手県の東の端の宮古市では,「お」と「上げ」の間にw音が入って「オワゲンセ」と言う人が多いようです。「お+上げ+ある」から「おあげん」へ変わるようすや,江戸時代の使われ方は,別の回で説明します。

おしまいの「せ」は,人に何かしてもらうときのていねいな言い方です。共通語の「~て・くださいな」に似た意味ですが,岩手の「せ」のほうが少し親しみがあります。

このように,このお酒の名前は「岩手らしさ」を前面に出しています。東北弁の代表のような「っこ」と「ひゃっこぐ」で土地がらを,東北一豊かな岩手の敬語から「おあげんせ」で人がらを,みごとに表しています。

ところで,岩手県で方言を名前にした日本酒は,これを含め,4社から5種類が出ました。酒店で立てた企画を,酒造会社が受けて考えたということです。他の4種類の方言も紹介して解説する予定です。

* * *

後半は,今回から始まるこのシリーズ全体のねらいを説明します。

方言には,私たちのふだんの生活の会話で使うという,もともとのそして中心的な役割のほか,観光,営業,また,公共などの目的で,工夫された使い方の例が日本全国にあります。外国にもあります。

例えば観光客向けの,方言を列挙した,のれん,湯のみ茶わん,手ぬぐい,絵はがき……などの,みやげもの商品があります。これらは「方言みやげ」また「方言グッズ」といい,私たちの研究会(後の方で説明します)では,まとめて「方言みやげ・グッズ」と呼んでいます。また,観光地のバスガイドが,お話のなかに土地の方言を入れることがあります。お客たちに,共通語とは異なる言語が話されている土地にいることを,ただの説明でなく,『実物』で知らせる演出です。

観光産業は,遠くから来たお客に,その土地の特性を感じ取らせることで利益を得ます。これらは,その有力な手段の一つに言語を利用するものです。古いお寺やお城などの歴史的建造物,有名な山や海などの自然,名物の食べ物などと同様の,観光資源として,言語が利用されているのです。

最近は,「方言みやげ・グッズ」の種類が増えています。方言を聞かせるのも,バスガイドのお話の付録だったものから発展して,時間をかけて語り聞かせる「方言パフォーマンス」が各地で毎日決まった時間に行われています。方言で歓迎のことばを書いた「方言メッセージ」が,地方の駅や街頭には珍しくなくなっています。

観光資源でなくても言語の工夫された使い方はたくさんあります。おもにその土地の人々に向けた,親しみを深めてもらうための使い方です。営業目的で店の誘い文句や地方CMでの語りを方言にするなどの「方言メッセージ」です。お店や公共の建物,テレビやラジオの番組,映画,歌謡曲,また,芸能人の名前などに方言を使う「方言ネーミング」も同様です。その他にも大きく広がっています。

「方言みやげ・グッズ」や「方言パフォーマンス」など,言語そのものを商品にして利益を得る利用と,「方言ネーミング」や「方言メッセージ」など,言語の工夫した使い方を通して利益にみちびく利用は,「言語の商業的利用」と言えましょう。言語の商業的利用や,それと似た拡張された活用を研究するのは,言語研究の新しい分野です。これを私たちは「言語経済学」と呼び,「言語経済学研究会」をつくって研究を進めています。

このシリーズでは,私たち言語経済研究会が,今回のような方言の使い方などを例に,言語の,ふつうより工夫された使い方を紹介していきます。皆さん,楽しみにして読んでください。よろしくお願いします。

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 田中 宣廣(たなか・のぶひろ)

岩手県立大学 宮古短期大学部 図書館長 教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』

編集部から

今日から始まります連載は「地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―」。
なんのことやら?とお思いでしょうか。皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載の始まりです。