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曲のエピソード
先頃、ロンドン・オリンピックの閉会式で世界各国の選手たちや大観衆の前で素晴らしいパフォーマンスを披露し、大々的に“復活”を世界中にアピールしたジョージ・マイケル。歌った曲は、「Freedom ’90」(1990/全米No.8、全英No.28。単に「Freedom」ともいう。Wham! 名義の大ヒット曲「Freedom」とは同名異曲)と、リリースされたばかりの新曲「White Light」(2012/全英No.15/曲、PV共に極上の出来映え!)の2曲で、会場を埋め尽くした観衆は、熱狂的な喝采で以てジョージの復活を歓待した。
それらの2曲からすぐさま想起されるのは、ワム!時代に全米チャートで立て続けに放ったNo.1ソングのうちのひとつ「Everything She Wants(邦題:恋のかけひき)」だ。と言うのも、一度聴いただけでは、どことなく淡々とした印象を受けるが、聴けば聴くほどその曲の虜になり、終いには“今すぐこの曲が聴きたい!”という禁断症状にも似た思いに駆られる、ある種の依存性の高いナンバーだからである。その種の曲を作らせたなら、ジョージの右に出る者はいない(と、個人的には思う)。昔からこうした“聴けば聴くほどに味わい深い曲”を“スルメ・ソング”と勝手に名付けてきたが(苦笑)、新曲「White Light」を初めて聴いた瞬間、27年も前のこの曲のメロディと歌詞が頭の中にありありと浮かんだ。
まだジョージが同性愛者であることをカミング・アウトする前の曲であるため、歌詞に登場する“you”は恋人の「女性」を指している。カミング・アウトして以降は、女性を対象としたラヴ・ソングが皆無であるから、今となっては、ジョージの作詞作曲によるこの曲の歌詞は、非常に珍しい内容と言えるだろう。彼自身もこの曲をとても気に入っており、ソロ・アーティスト転向後も、ライヴには欠かせない曲のひとつとなっている。尚、ジョージはこの曲で、毎年ロンドンで式典が営まれる音楽の祭典 Ivor Novello Awards の The Composer of the Year(最優秀作曲者賞)を史上最年少で受賞した(当時22歳)。
曲の要旨
僕の彼女は自分の目に映ったものを何でも欲しがる。そのせいで、僕は彼女の欲望を満たすためだけに働いているようなものさ。付き合い始めた頃は、彼女が自分にとっての理想の女性だと信じて疑わなかったのに、今じゃ彼女に吸い取られるだけ吸い取られてしまっている有様。お蔭で今の僕はクタクタ。これ以上、彼女のために働き続けたら、僕の方が参ってしまうよ。どうして僕が君のために、ここまで身を粉にして働かなければならないのさ? 理由をちゃんと説明してくれよ……。
1985年の主な出来事
アメリカ: | レーガン大統領が就任したばかりの旧ソヴィエト連邦のミハエル・ゴルバチョフ書記長とスイスのジュネーブで初対面を果たし、米ソ首脳会談が実現。 |
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日本: | 歴史的な円高を経て、いわゆる“バブル景気”の時代が到来。 |
世界: | イギリスのロンドンやバーミンガムなどの主な都市で大規模な暴動が発生。 |
1985年の主なヒット曲
Can’t Fight This Feeling/Foreigner
We Are The World/USA for Africa
Shout/Tears For Fears
The Power of Love/Huey Lewis & The News
We Built This City/Starship
Everything She Wantsのキーワード&フレーズ
(a) I must have loved you
(b) my back will break
(c) ain’t gonna keep us together
天は二物を与えず。……とは言うものの、神様はイギリスが生んだポピュラー・ミュージック界の至宝:ジョージ・マイケルに、いくつもの才をお与えになった。ソングライター/プロデューサーとしても稀有な才能の持ち主だが、何よりも、絶妙な節回しと心の琴線に触れるあの繊細にして伸びやかな奥行きの深いヴォーカルが素晴らしい。ワム!がデビューした当初、もうひとりのアンドリュー・リッジリーの方がアイドル的人気を獲得していたのだが、音楽の才能にどちらが長けていたかは、既に歴然としていた。ジョージのソロ転向は必然だったと思う。
この曲も、名義こそワム!だが、実質的にジョージの自作自演ナンバーと言っても差し支えない(ジョージが単独で作詞作曲をしている)。何しろ、パートナーのアンドリューはコーラスとも言えないコーラス部分の♪Uh-huh-huh… を、ほんのちょっぴり歌っているだけだから(苦笑)。この曲を聴いた時点で、“ジョージは近い将来、間違いなくソロ・アーティストに転向するだろうな”と確信した。それは、多くのワム!のファンも感じていたことだろう。ジョージは一個人のアーティストになるべくして生まれてきた人なのだ。
日本人が英文法の中でもとりわけ苦手とするのが、日本語の感覚にはない完了形や仮定法の表現である。特に、“would + have”、“could + have”、“should + have”といった過去の推量を表す表現は、助動詞の種類によってニュアンスに微妙な違いがあり、なかなかぴんと来ない。筆者はそれらを高校のグラマーの時間に習ったのだが、確実に習得できたと感じたのは、訳詞の仕事を始めてからのこと。それほど洋楽ナンバーの歌詞には、そうした表現が頻出する。
(a)の“must + have(~だったに違いない、~にしたに違いない)”という過去の推量を表す言い方もそのうちのひとつで、この場合は、「僕は彼女を(あの頃は)愛していたに違いない」という意味になる。そこから透けて見えてくるのは、物欲に取り憑かれた彼女に翻弄されている今現在の曲の主人公が、彼女に対しての愛情を既に失ってしまっている、という事実。よって、(a)は、違うセンテンスに書き換えると以下のようになる。
♪I think I don’t love her anymore.
前回、このコラムで採り上げた「Like A Virgin」を歌っているマドンナの曲に、「Material Girl(“高価なものを好む女の子”即ち“物欲に取り憑かれた女の子”のこと)」(1985/全米No.2)というのがあるが、奇しくも同曲と同じ年にワム!のこの曲が大ヒットしていることから、当時はそうした“何でも欲しがる女の子”が欧米各国の巷に溢れていたのかも知れない。あるいは、この手の歌詞が持て囃された時代だった、とも考えられる。
(b)は、正式なイディオム“break one’s back(懸命に働く、骨を折る/スラング扱いで「破産する」という意味)”を未来形にしたもので、この曲では、“これ以上、君の物欲がエスカレートすると、僕は無一文になってしまう”という意味合いで使われている。ここも、以下のように書き換えてみれば解りやすいのではないだろうか。
♪The more you want my money, the more you break my back.
ジョージが物欲に取り憑かれた彼女の欲望を満たしてあげるために懸命に働く姿……ううん……今となっては全く想像ができない。が、当時、確かにこの曲に共感した人々が大勢いたのである。そうでなければ、“イントロが強烈な印象を与える曲”や、“即物的な歌詞”を往々にして好むアメリカ人がこの曲に飛びつき、全米チャートで首位を獲得するはずがない。筆者は、この曲の歌詞で“break one’s back”というイディオムを知った。大ヒットしていた1985年当時、(b)のフレーズの意味が解らず、辞書を引いた記憶がある。
ジョージが幼少期からアメリカのR&B/ソウル・ミュージックの愛好家だったのは有名な話だが、(c)のフレーズは、そのことを雄弁に物語っている。be動詞や助動詞などの否定形で、R&Bナンバーやラップ・ナンバーに数限りなく登場する“ain’t”が含まれているから。(c)は、「今のままの状態では、ふたりの関係が続くはずがない」と歌っているのだが、その原因が物欲に取り憑かれた彼女にあることは明らか。(c)を正規の英文法を使って書き換えてみる。
♪It is not going to keep us together.
ワム!のデビュー当初からジョージが綴る曲にはR&Bから受けた影響が色濃く反映されていたのだが、この「Everything She Wants」も間違いなくそうしたナンバーのうちのひとつ。淡々としていながら、ライヴでは異様に盛り上がる、という点も、往年のR&Bナンバーの多くにその種の曲が含まれているため、恐らくいずれかのR&Bナンバーからインスパイアされたのでは、と、想像してきた。ライヴ・ヴァージョンが如何に盛り上がるかは、デビュー25周年の記念すべきライヴ“25 LIVE(ツアーの最後を締めくくる2008年8月24~25日の2日間のライヴの様子を納めたもの)”を収録した素晴らしいDVD『LIVE IN LONDON』を観れば一目瞭然。筆者は数え切れないほど同DVDを視聴しているが、ジョージ・マイケルというひとりのアーティストが、如何に天賦の才に恵まれているかがひしひしと伝わってくる映像集である。「Everything She Wants」では、凝ったステージの演出にもご注目されたし。