タイプライターに魅せられた女たち・第96回

メアリー・オール(5)

筆者:
2013年9月5日

その後もオール女史は、「Remington Standard Type-Writer No.2」を宣伝すべく、アメリカ各地で実演を繰り返していました。しかし「Caligraph No.2」との対決には、なかなか至りません。一計を案じたマクレインは、タイピングの宣伝本を企画することにしました。『Typewriter Speed and How to Acquire It』と題されたこの宣伝本は、「Bar-Lock」「Caligraph」「Crandall」「Densmore」「Franklin」「Hammond」「National」「Remington」「Smith Premier」「Yost」の各タイプライター会社に対し、広告を掲載すると同時に、各タイプライターを代表するタイピストに原稿を依頼していました。宣伝本の巻頭を飾ったのは、もちろんオール女史です。

『Typewriter Speed and How to Acquire It』(1891年)タイトルヘッド

『Typewriter Speed and How to Acquire It』(1891年)タイトルヘッド

指使いに関して。私の意見では、各オペレータにとって、それぞれ、もっとも自然だと思える方法を採用すればよい、と思うのです。両手の指一本ずつでなければ、落ち着いて打てないし正確さにも欠ける、というオペレータもいるでしょう。大半のオペレータは、両手の指を二本ずつ使います。三本指のオペレータも増えてきましたが、四本指のエキスパートは少数です。四本の指を使うオペレータは、まだまだ少ししかいないのです。言うまでもなく小指は、他の指に比べ、ストロークの強さを欠いていて、特に女性オペレータにとっては、小指の使用は、ほとんど問題外だからです。

もちろん、私としては、オペレータに自信があるなら、できるだけ多くの指を使うことを推奨します。それは、エネルギーの節約になるからです。1分間や5分間の短いスピード・テストでは、一本指だろうが、それよりたくさんの指を使おうが、大したスピードの差は出ません。しかし、まる一日分の仕事というスピード・テストにおいては、より多くの指を使った方が、最小の労力で最大の成果へと近づくことになるのです。

この頃、オール女史の勤めるウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社では、キナ臭い雰囲気が漂いはじめていました。ファウラー(Charles Newell Fowler)という人物が出入りするようになり、社長のウィックオフ(William Ozmun Wyckoff)や、副社長のベネディクト(Henry Harper Benedict)、シーマンズ(Clarence Walker Seamans)あるいはマクレインと、密談を重ねていました。オール女史も、タイピストとして、契約書や必要書類の作成をおこなっていました。彼らは、子会社のレミントン・スタンダード・タイプライター社を、「Caligraph No.2」のアメリカン・ライティング・マシン社と、合併させる方法を模索していました。加えて、デンスモア・タイプライター社、ハモンド・タイプライター社、スミス・プレミア社、ヨスト・タイプライター社も合併させることで、タイプライター業界の独占を狙っていたのです。独占によって、ファウラーは株価の吊り上げを、ベネディクトやシーマンズはタイプライター価格の吊り上げを、それぞれ狙っていました。

メアリー・オール(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。