しかし、1890年7月に制定されたシャーマン反トラスト法は、そのような会社合併を明確に禁じていました。しかも、シャーマン反トラスト法によれば、会社間での契約すら、何らかの形で取引を制限する場合には、違法だと認定できるようになっていました。つまり、各タイプライター会社は、あくまで独立した経営を保たなければいけないし、会社間で価格維持のための契約を結んだりすると、その契約すら違法となるのです。そんな法律のもとで、タイプライター会社を合併あるいは合同させるなど、不可能なことのように見えました。
しかし、ファウラーには策がありました。持株会社の設立です。つまり、全てのタイプライター会社に対して、各会社の株の半分以上を、新しく設立する持株会社が取得します。各タイプライター会社は、あくまで独立した経営を保ち続けるので、シャーマン反トラスト法には抵触しません。もし、タイプライター会社のどれかが、持株会社の意向にそぐわない経営をおこなえば、次の株主総会で、そのタイプライター会社の社長を、持株会社の言うことをきく社長に入れ替えてしまうのです。それは、株主として当然の権利ですから、持株会社とタイプライター会社の間には、特に何の契約も必要としないわけです。持株会社の設立は、州によっては違法なのですが、少なくともニュージャージー州では合法なので、持株会社の本社は、ニュージャージー州に置くことにすればいいわけです。
この準備として、シーマンズたちは、レミントン・スタンダード・タイプライター社を1892年1月11日で解散し、それまでの同社の株を、全てウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社に転換しました。さらに5月26日には、新たなレミントン・スタンダード・タイプライター社を設立し、新規に株を発行しました。オール女史は、これらの手続に必要な書類をタイピングし続け、結果的に、新たな会社の秘書室を兼務することになりました。一方ファウラーは、アメリカン・ライティング・マシン社などの株を集めるべく、各社の大株主と手筈を整えていきました。デンスモア・タイプライター社、ヨスト・タイプライター社、スミス・プレミア社については、交渉が進んでいましたが、ハモンド・タイプライター社に関しては、あまりうまくまとまりませんでした。
1893年3月30日、タイプライター5社(「Remington」「Caligraph」「Densmore」「Yost」「Smith Premier」)を傘下に収める持株会社として、ユニオン・タイプライター社が設立されました。登記はニュージャージー州トレントンでおこなわれましたが、実質的な本社機能は、ニューヨークのブロードウェイ327番地、すなわちウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が担うことになりました。初代社長にはシーマンズが就任し、副社長はファウラー、オール女史はここでも秘書室を兼務することになりました。
(メアリー・オール(7)に続く)