戦後、「当用漢字」が当て字のたぐいを正式に廃する方針を実施に移した。これは、戦前からの流れを汲む施策であり、次々と具現化したその音訓表や付表によって、「まじめ」という漢字表記は認められないことが明確となった。この表に従うかぎり、「面」を「じ」と読めないためである。
しかし、「真面目」という表記がかなり一般化しているため、それを覚えた生徒がいて何かで書いたことに対してだったか、それは当て字だから良くない、あるいは「まじめ」とは読めない、と言ってその表記を否定した教員がいたことを覚えている。
私が小中学生のとき、「まじめ」ということをあざけるような風潮があった。ちょっときまじめな態度をとると、「まじめだなあ」、「まじめぶっている」などと蔑む光景が校内ではしばしば見られた。「まじめくさる」や「くそまじめ」という語は、戦前からあったもので、場をわきまえない態度やその程度の行き過ぎを戒めたり評したりする表現であったのだろうが、たんに他者と違う律儀さを揶揄するどころか、嘲笑ったり批難したりする場面が確かにあった。「まじめ人間」と言われても、反撃が苦手そうな人がからかわれる状景はしばしばあった。
面白みを他者に示すことを惜しむ人は、今の私はもったいない面があるとは思うが、そうではない生真面目な性質の人も少なくないのである。テレビ界の趨勢によったものだったようにも思われるが、日本テレビで1983年に「おもしろまじめ放送局」がアナウンサーによってキャンペーン展開された。「まじめ」が妙な形ながら表舞台に立ち、復権していくように思えた。
一般には、「まじめ」は、和語の名詞であることに加え、語のもつ意味内容からも、表記としては漢字によるものが適している、と感じられるのだろうか。当用漢字の制限下においても、近世以来の漢字表記である「真面目」は根強く残りつづけた。小学生でも、ときに違和感を抱えつつも、読める者がある。韓国人留学生は、面白い疑問を呈した。韓国では、「シンメンモク」に当たる字音語が真の面目という意味しかもたない。そのため、「まじめ」にこの3字を用いる日本では、シンメンモクを書くときにはどう表記するのか。漢字と語とが1:1で対応することを大原則とする中国に近かった韓国らしい見方といえよう。
この表記が当て字であり、教育機会も乏しいためか、誤記のたぐいがたいへんに目立つ。
真剣目
真字面
真実面 真実目
真事面 真事目
真面め
真自面 真自目
真白面
真地面 真地目
真目面
概して漢字は、誤字とレッテルが貼られればそれでおしまいとなりがちだが、これらは、誤字といって切りすてるだけでは惜しい背景を語ってくれているように思えてならない。当て字は、発音を利用するタイプと、意味を利用するタイプ(多くの熟字訓はその中に入る)など、多様なグループ化が可能である(詳しくは、『当て字・当て読み 漢字表現辞典』に記した概説を参照されたい)。これらをよく考えてみれば、当て字への当て字といえるのである。(つづく)