三省堂国語辞典のすすめ

その74 多いとは、こーんなにあること。

筆者:
2009年7月1日

小さな子でも知っている基礎的な概念をことばで説明することは、かえってむずかしいものです。たとえば、「大きい」「多い」は、幼児が最も早く覚えることばに属しますが、辞書の中でそれを説明するとなると、たいへん苦労します。

「大きい」は、「空間に占める割合が多い」のように説明することができます。ところが、その「多い」を説明するためには、「数量の程度が大きい」というように、「大きい」を使いたくなります(実際に、ある辞書ではそうなっています)。「大きい」「多い」の説明が循環してしまいます。

辞書によっては、説明を諦めたかに見えるものもあります。「大きい」は「空間を占める容積や面積が大である」、「多い」も「数量が大である」として、両方とも「大である」でまとめています。「大」を引くと、「大きい方あるいは多い方であること」と出てきます。このようにすっぱり割り切るのも、ひとつの方法かもしれません。

気球の写真(キャプションはかつてのCMソング)
【♪大きいことはいいことだ…】

では、『三省堂国語辞典』はどうでしょうか。これが、なかなかおもしろいのです。 まず、「大きい」は〈容積が多い。かさが多い。〉と、「多い」を使って説明します。一方、その「多い」の説明は、第二版(1974年)以来、こうなっています。

〈数や量が、こんなにある、という状態だ。〉

思わず、あっけにとられる説明です。「『こんなにある』って、どんなふうにあるんだ?!」と聞き返したくなります。珍語釈と見る人もいるかもしれません。

でも、よく味わってみると、これは名語釈というべきです。小さな子に「多い」の意味を聞かれたとき、大人はおそらく、「あめ玉が、こーんなにある、ということだよ」と、手を広げて見せるでしょう。この説明のしかたを、『三国』はそのまま採用したのです。

辞書では手を広げて見せることはできませんが、「こんなに」ということばの中に、程度の大きさを示す要素が入っています。「こんなにある」は、存在する数量の程度が大きいということを、素朴に、直感的に分かるように説明したものです。

たくさんのりんご
【こんなにあるという状態】

もっとも、それならば「こんなに」や「そんなに」の意味はどう説明するかということが、課題として残ります(『三国』では、特に説明はありません)。そこまでの説明を求める人がどれだけいるかは疑問ですが、できればなお工夫したいところです。

『《物》と《場所》の意味論』
【久島茂氏に名著がある】

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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