歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第38回 Ain’t No Mountain High Enough(1970/全米No.1,全英No.6)/ ダイアナ・ロス(1944-)

2012年6月27日
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●歌詞はこちら
//letras.mus.br/diana-ross/34430/traducao.html

曲のエピソード

オリジナルは、R&B/ソウル・ミュージック界における男女デュオの最高峰と謳われたマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye/1939-1984)とタミー・テレル(Tammi Terrell/1946-1970)のヴァージョンで、1967年にR&BチャートNo.3、全米No.19を記録した。ダイアナ・ロスが、ポピュラー・ミュージック史上で最も多くの全米No.1ヒット曲を放った女性ヴォーカル・グループ、ザ・シュープリームスを脱退し、ソロ・シンガーに転向してからの初の全米No.1ヒットがこのカヴァー曲である。しかしながら、カヴァー・ヴァージョンとは言え、男女の阿吽の呼吸の掛け合いが素晴らしいオリジナル・ヴァージョンとは曲調もアレンジも全く異なる(歌詞はところどころ同じだが……)ダイアナによるカヴァー・ヴァージョンは、同名異曲と言ってもいいほど雰囲気が全く違う。

曲を作ったのは、後に夫婦デュオとしても成功を収めたソングライター/プロデューサー・コンビのニコラス・アシュフォード(Nickolas Ashford/1941-2011)とヴァレリー・シンプソン(Valerie Simpson/1948-)。夫婦デュオとしてコンサートを行う際に、彼らもまた、この曲をステージで披露することが多かった。最初にこの曲のアイディア(タイトル)を思いついたのは夫ニコラスの方だが、ソングライターとしての才能が夫を遥かに凌駕していた妻ヴァレリーが曲のほとんどを作っている。

オリジナル・ヴァージョンをガラリと変えてドラマティックなセリフ仕立てのダイアナのヴァージョンは、彼女のライヴには欠かせない曲で、ライヴの最高の見せ場でもある。

曲の要旨

あなたが私を必要とする時は、迷わず私を呼んでちょうだい。あなたがどこにいても、どんなに遠くにいても必ず側に駆け付けるわ。強風も豪雨も、凍てつくような寒さも、あなたの側に行くためなら私にとっては少しも苦にならないの。あなたが私が目指す究極のゴールだとするなら、そこまで辿り着くのに高過ぎる山なんてないわ。どんなに高い山も、どんなに深い谷底も、どんなに広大な河も、あなたと私を隔てる障害にはならないのよ。

1970年の主な出来事

アメリカ: ヴェトナム戦争への反戦デモに参加していたオハイオ州立ケント大学の学生4名が射殺される。
日本: 赤軍派による日本航空よど号のハイジャック事件が世間を震撼させる。
世界: ビートルズ解散のニュースが世界中に衝撃を与える。

1970年の主なヒット曲

Raindrops Keep Fallin’ On My Head/B.J. トーマス
Venus/ショッキング・ブルー
Bridge Over Troubled Water/サイモン&ガーファンクル
ABC/ジャクソン・ファイヴ
(They Long To Be) Closet To You/カーペンターズ

Ain’t No Mountain High Enoughのキーワード&フレーズ

(a) follow the sun
(b) fall short of ~
(c) Ain’t no mountain high enough

曲の説明に入る前に、最初に断っておきたいことがある。今回ほど、ネット上でこの曲の正しい英詞を見つけるのに苦労したことはなかった。特に英語圏の人々が運営する歌詞サイトに掲載されているものの内容がひどく、中には、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルのオリジナル・ヴァージョンの歌詞をダイアナのヴァージョンとして平然として掲載しているサイトまであり、これには心底、呆れ返ってしまった。実はその昔、ここ日本でも同じようなことがあり、某レコード会社がダイアナの「Ain’t No Mountain High Enough」の英詞を歌詞カードに掲載する際に、マーヴィン&タミーのカヴァーだからといって、ロクに歌詞を聴きもせずにオリジナル・ヴァージョンの英詞をそのまま流用した歌詞カードを市場に流通させたことがあった。後年、さすがにそうした誤りは訂正されたが、未だにネット上に氾濫するダイアナのカヴァー・ヴァージョンの英詞の誤りの多さには辟易してしまう。

逆に、非英語圏の人が運営している歌詞サイトの方が、丁寧に言葉を拾って掲載している場合が多い。よって、今回は、ポルトガル語圏の人が運営する歌詞を上記に記した(ゆえに、英詞の横にポルトガル語の訳詞が掲載されている。親切なサイトである)。英語圏の人が運営するサイトで最も多くみられた聞き取りの誤りは、以下の通り。

  • 【誤】If you are gone/【正】If you are my goal
  • 【誤】… life’s holds/【正】… life holds
  • 【誤】my love/【正】my lovin’
  • 【誤】Ain’t no river wild enough/【正】Ain’t no river wide enough

このように、ネット上に溢れ返っている英詞には、誤りもかなりあるので、それらを鵜呑みにすることは危険である。正しい歌詞を入手したい場合には、耳を研ぎ澄ませてその曲を聴きながら各サイトの英詞と照らし合わせてみることをお薦めしたい。

以前、教えている翻訳学校でこの曲を課題曲に選んだ際に、ある男性の受講生さんから、「この歌詞に出てくる男性(you)は、革命家か何かなんでしょうか?」と、驚くような質問をされたことがある。彼が何故にそう思ったのか、その根拠は(a)にあるという。「あなたは太陽があなたを導くままにどこまでも進んで行かなくてはならないのね」――(a)はもちろん比喩で、意訳するなら「あなたは自分の意志の赴くままに、どこまでも突っ走って行ってしまうのね」となるだろうか。そこのフレーズから、先述の受講生さんは、この曲の主人公が愛する男性を恋愛よりも自ら選んだ道を優先する=革命家、と想像したというのだ。筆者は一度としてそんな風に考えたことがなかったので、実に興味深くて面白い発想だなあ、と思った。また、オリジナル・ヴァージョンの歌詞が頭に入っているため(そらで歌えるし、完璧にオリジナル・ヴァージョンの歌詞を一言一句、曲を聴かなくても書くこともできる)、相手の男性=女性を振り切ってまで革命に邁進するタイプ、とは、どうしても考えにくかった。洋楽ナンバーの歌詞は、人によって受け止め方がこうも違うものなのかと、改めて驚かされたと同時に、ダイアナのカヴァー・ヴァージョンを耳にする度に、条件反射のように頭に「革命家」の三文字が浮かぶようになってしまった(苦笑)。

(b)は、辞書の“short”の項目に載っているれっきとしたイディオムのひとつで、「~に飢える、~が不足する」という意味。“come short of ~”も同じ意味のイディオム。主人公の女性は、愛する男性に向かって「あなたの希望が枯渇しても、あなたにはたったひとつだけ決して失わないものがあるわ。それはこの私よ…」と、自分自身を相手の男性にとっての「最後の頼みの綱」として頼りにしていいのよ、と、身も心も彼に捧げる覚悟でいるのだ。それでも彼は彼女を愛しつつも、自ら選びとった人生を歩もうというのだろうか……?

R&B/ソウル・ナンバーやラップ・ナンバーには、be動詞や助動詞の否定形“ain’t”がタイトルに用いられたり、歌詞の中に登場することが非常に多い。多くの場合は否定語を伴って用いられ、その際には、二重否定ではなく否定の強調になる。(c)を正規の英語に書き換えるなら、次のようになる。

There is no mountain that is high enough.

また、タイトル部分が歌われているサビのフレーズを書き換えるなら、以下のセンテンスが最もピッタリくるだろう。

Even the highest mountain can’t keep me from you.

これでタイトルがいわんとしていることが少しはお解り頂けただろうか? 筆者は今でもオリジナル・ヴァージョンを毎日のように(!)聴いているが、ダイアナによるセリフ仕立てのカヴァー・ヴァージョンも昔から大好きで愛聴している。まるで一大感動巨編の如きドラマティックな展開のアレンジを施したアシュフォード&シンプソンの手腕にも拍手を送りたい。そしてこの曲が、“you”を“God”に見立てて英語圏の多くの教会でゴスペル・ナンバーとして歌われることも多い、ということも最後に付記しておく。そのきっかけとなったのは、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『SISTER ACT 2: BACK IN THE HABIT(邦題:天使にラブ・ソングを 2)』(1993)の劇中歌に使用されたことだった。もちろん、ゴスペル・ナンバーとして。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。