●歌詞はこちら
//www.oldielyrics.com/lyrics/run-d_m_c/christmas_in_hollis.html
曲のエピソード
アフリカン・アメリカンのラッパー(ラップ・ユニット)で初めてクロスオーヴァー・ヒットを放ったのがRUN-D.M.C.である。本連載第2回のエアロスミス「Walk This Way」(1976/全米No.10)を下敷きにした同名曲がそれで、1986年に全米チャートでNo.4を記録する大ヒットとなった。ヒップ・ホップ・カルチャー黎明期に活躍したラッパーたちを俗に“Old School rappers”と呼ぶが、RUN-D.M.C.はその次の世代(特別な名称はない/今では彼らもオールド・スクール世代といっしょくたにされることが多い)を担う代表格だった。しかしながら、2002年10月30日にDJのジャム・マスター・ジェイがニューヨークのレコーディング・スタジオで銃殺され、37歳という若さで急逝し、グループ活動は半永久的に休止せざるを得なくなった。残念でならない。
筆者は一時、ラップのクリスマス・アルバムをコレクションしていた。この「Christmas In Hollis」が収録されている『CHRISTMAS RAP』はリリースと同時にLPで入手。ほかにもさまざまなラップのクリスマス・アルバムのLPを取り憑かれたように買い漁ったが、中には「Santa Is A B-Boy(サンタ・クロースはヒップ・ホップ野郎、の意)」という笑える曲もあった(アーティストはWhistle/1986年にR&BチャートでNo.92/恥ずかしながら、筆者は同曲の12インチ・シングルも持っている)。ラップのクリスマス・ナンバーはどれもこれもが底抜けに楽しい。筆者が特に愛聴したのが、この「Christmas In Hollis」である。タイトルにある“Hollis”とは、RUN-D.M.C.が生まれ育ったニューヨークはクイーンズ地区の南東部地区の名称。“ホリーズでのクリスマス(=俺たちが催すクリスマス)はこんな感じ”というのを、この曲は余すところなく伝えてくれて、聴いていて楽しい。特に、お母さん手作りのソウル・フードの名称が次から次へと登場するフレーズは圧巻。
曲の要旨
12月24日、クリスマス・イヴの真夜中に、公園で犬と戯れるひとりの男。犬だと思ったら、それは弱り切ったトナカイだった。時計の針はもうすぐ真夜中。あごひげをたくわえたその男は、財布を落としたまま立ち去ったよ。財布を拾って中身を見てみると、そこにはサンタ・クロースの証明書と百万ドルの現金が……。早速それをサンタ・クロースに送り返そうと帰宅してみると、クリスマス・ツリーの下にはサンタさんからの手紙が置いてあって、現金は俺へのプレゼントだと書いてあった。まさか!
ホリーズでのクリスマスは、母ちゃんの手料理のソウル・フードでテーブルが埋め尽くされるよ。家の中はクリスマスの飾りできらびやかなのさ。クリスマス用のラップをカッコよくキメなけりゃな。
1987年の主な出来事
アメリカ: | 12月8日、レーガン大統領とソヴィエト連邦のゴルバチョフ書記長が中距離核戦力全廃条約に調印。 |
---|---|
日本: | 国鉄が民営化及び分割され、JR(Japan Railways)が誕生する。 |
世界: | スリランカにおいて、タミル人(スリランカやインド南部に住む種族の総称)過激派による爆弾テロが頻発して激化。 |
1987年の主なヒット曲
Open Your Heart/マドンナ
Nothing’s Gonna Sop Us Now/スターシップ
Head To Toe/リサリサ&カルト・ジャム
Alone/ハート
I Just Can’t Stop Loving You/マイケル・ジャクソン
Christmas In Hollisのキーワード&フレーズ
(a) chill with ~
(b) (the) dough
(c) what Christmas is all about
これはRUN-D.M.C.のヒット曲でもなければ代表曲でもない。が、彼らを語る時、決して避けては通れない楽曲だと思う。その理由は、ジャンルを問わず、どんなに人気のあるアーティストでも、季節商品とも言うべきクリスマス・ソングがシングル・カットされること自体、滅多にないことだから。しかも、この曲がリリースされた1987年当時、世間の人々はラップ・ミュージックに対してまだまだ懐疑的であった。よもや現在のようにメインストリームのジャンルになるとは夢にも思わず、大多数の人々が“いずれ消え去るジャンク・ミュージック”だと信じて疑わなかった時代である。それでもRUN-D.M.C.によるクリスマス・ナンバーがシングル化されたのは、それだけ彼らの人気が桁外れだったということだ。今の人たちは想像もつかないだろうが、ラップ・ナンバーが全米チャートの上位に食い込むのは至難の業だった時代なのである。それをRUN-D.M.C.は見事にやってのけた。ラップ・ミュージックが音楽の一ジャンルとして確固たる地位を確立していた頃に彼らの「Walk This Way」がリリースされていたなら、間違いなく全米チャートを制覇していたことだろう。
ヒップ・ホップ・カルチャー、ひいてはラップ・ミュージックから生まれたスラングは枚挙にいとまがないが、(a)はその代表的なもののひとつ。“chill”だけで“relax”と同義である。“chill with ~”は「~と戯れる、~と楽しくやる」ぐらいの意味。ご存知のように、“chill”の原意は名詞で「悪寒、冷気、寒気」、形容詞で「ヒンヤリとする、寒い、凍えるような」、動詞で「冷やす、冷蔵する」(冷蔵庫の“チルド室”の語源はこれ)という意味だが、俗語的扱いで「頭を冷やす、落ち着く」という意味の動詞としても使われ、スラングの(a)はそこから生まれた。すなわち、「冷静になる→落ち着く→リラックスする」という発想の転換である。筆者がこの言葉を見聞きする度に条件反射のように思い出してしまうのは、スパイク・リーの監督/主演映画『DO THE RIGHT THING』(1989)のラスト・シーンで、暴動が終わり、ストリートに静けさが戻ってきた、ということを意味するナレーションが流れた際の、「涼しさが戻ってきた」といった誤訳の字幕である。同映画をご覧になった方はお判りだろうが、映画の舞台はブルックリン、季節は真夏だった。そもそも最初から猛暑の中で繰り広げられる物語であるのに、「涼しさが戻ってきた」というのもおかしいし、そのナレーションが流れる最中の画面では、猛暑の余り蜃気楼さえ立っていたのである! せっかくいい気分で映画を観ていたのに、最後の最後に水を差されてゲンナリしてしまった。以来、筆者は同映画を字幕ナシ(吹き替えでは観たことがない)で観ることにしている。もしかしたら、今ではその誤訳部分が訂正されているかも知れないが……。
(b)もまたスラングで、ここではサンタ・クロースが落としていった財布の中身に入っていた大金を指す。アメリカでは1900年代半ばから用いられている古いスラングのひとつで、語源は“bread(パン)”の“dough(パン生地)”。“bread”には「金、現金」という意味もあり、そこから(b)が生まれたというわけ。もともと存在したスラングにラッパーたちが飛びつかないはずなどなく、ヒップ・ホップ・カルチャー黎明期から多くのラッパーたちが好んで用いてきた。そして今でも見聞きする息の長いスラングである。蛇足ながら、“doughnut”の“dough”は、「パン生地」の「生地」の意。(b)は、身近に潜んでいる言葉から生まれたスラングである。
(c)は、“what ~ is all about(~の本質)”というれっきとしたイディオムを使用したフレーズ。「クリスマスとは、本来こういうもんだ」ということを言っている。歌詞や会話でも頻繁に見聞きする言い回しで、例えば以下のように使う。
♪This is what love is all about.(恋愛とは本来こういうものだ)
♪This is what rap music is all about.(ラップ・ミュージックはこうでなくっちゃ)
他にも様々な場面で使える言い回しなので、これを機に覚えておくと便利。
筆者はクリスチャンではない。仕事上、クリスマス・ソングやゴスペル・ナンバーを訳すことが多く、そうした作業をするうちに、キリスト教に関するある程度の知識を得てきたつもりである。だから余計に、非クリスチャン(と思われる)日本人の人々がクリスマスだからといって必要以上に浮かれ騒ぐ様子を目の当たりにすると、どことなく居心地の悪さを感じてしまい、例えばしょっちゅう行く地元の元町商店街でも、この季節になると、クリスマスの過剰なディスプレイが施してある本通りではなく、わざわざ地味な裏通り(地味とは言え、センスのいいセレクト・ショップが点在している)を選んで歩くほどだ。ハロウィーンの時もまた然り。宗教行事の本来の意味を知らずして浮かれ騒ぐ趣味は筆者にはない。よって、今年もまた、クリスマスのディスプレイなど一切していない自宅で、クリスマス・ソングを聴きながら地味に(苦笑)楽しむのである。