和歌でも歌謡曲でも、「もしも……だったら、……だろうに」と、過ぎたことを後悔するものが多くあります。このような考え方を、俗に「たられば」と言います。
NHKの朝ドラを見ていたら、くよくよする姉を、妹が叱っていました。
〈あかん。過去に戻ったらあかん。「たられば」は禁止や。〉(NHK「連続テレビ小説・だんだん」2009.2.6 8:15)
この「たられば」は、『三省堂国語辞典 第六版』の新規項目であり、また、同じ時期に出た分厚い国語辞典にも収録されたことばです。わりあい最近の言い方と考えられますが、いったい、いつごろから使われ始めたものでしょうか。
新聞記事では、1980年代にはまだ用例が出てきません。むしろ「ればたら」の例が2例だけありました。90年代に入ると、「たられば」も「ればたら」も使われるようになりますが、とりわけ「たられば」が多く、現在でも圧倒的に優勢です(表記は、ひらがな・カタカナなど一定しません)。この傾向は、インターネットの文章でも同じです。
これだけを見ると、90年代ごろに広まったことばという感じを受けます。でも、実際にはもっと早くから使われていた可能性があります。
田辺聖子さんの小説『風をください』(1982年)には、ハイミスのOLが「……たら」「……なければ」と後悔するのに対し、年下の恋人が〈タラは北海道〉〈レバーは肉屋〉と言い返す場面があります(集英社文庫 p.185-186)。「タラは北海道」は、この作品の正編に当たる『愛してよろしいですか?』(1979年)にも出てきます。
インターネットで探すと、この一種のだじゃれは、「『たら』は魚屋、『れば』は肉屋」などの形でも使われています。田辺さんが周囲の人のことばを小説に取り入れたのか、それとも、田辺さんの小説からこの言い方が広まったのかは分かりません。いずれにせよ、70年代の終わりには「たられば」の先祖にあたる言い方があったことになります。
田辺さんが大阪の作家だからというわけではありませんが、このことばは関西で広まったのではないかと思われるふしもあります。関東では「行かなければよかった」と言いますが、関西では「行けへんかったらよかった」と「たら」をよく使います。「ればたら」でなく「たられば」が多数派なのは、関西のことばだからではないかと思います。