若者ことばが話題になるとき、「やばい」について素通りされることはありません。もとは犯罪者の隠語で「危ない」の意味だったのが、今では「このケーキ、やばい」などとほめる場合にも使われ、まぎらわしいと言われます。もっとも、最初から俗語なのですから、その意味が変わったところで、今さら眉をひそめるのもへんな話です。
「このケーキ、やばい」のようなプラスの意味は、1990年代後半には現れたと言われ、私の手元にも当時の用例があります。ただ、それ以前にまったく例がないわけではありません。1987年の週刊誌の記事で、トルコ軍楽のCDが「やばい」と評されています。
〈CD帯のコピーいわく「めくるめく陶酔とノスタルジー」。たしかに祭り囃子風にも聴こえます。気分も浮かれるヤバイ魅力。困ったものです。〉(『週刊朝日』1987.8.7 p.125)
これを「このCD、やばい」と終止形にすると、今ふうの言い方になるわけです。
『三省堂国語辞典 第六版』では、「やばい」のこの意味も載せました。〈すばらしい。むちゅうになりそうで あぶない〉と説明し、〈「今度の新車は―」〉という用例を添えてあります。「新車が事故を起こしそうで危ない」という意味でないのはもちろんです。
第六版が刊行された時、新聞記事やテレビのニュースでも、「『やばい』の新しい意味も載っている!」と取り上げてくれました。目玉商品のことばのひとつと言えるでしょう。
それはいいのですが、少々てこずったのは、むしろその次に掲げた意味でした。
〈〔程度が〕はなはだしい。「教科書の量が―」〉
つまり、「やばい」には、程度を表す用法も現れています。テレビからも〈やばい〔=すごく〕かっこいい〉〈やばい良くねー?〉などと言っている例を採集しました。でも、程度を表すときに、「……がやばい」と終止形で言えるのかどうか、分かりませんでした。
そんな折、というのは2005年4月のある日のこと、西武新宿線に乗っていると、大学生らしい男性が〈〔新学期に使うために購入した〕教科書の量がやばいから……〉と友だちと話しているのが聞こえました。
これは、程度を表す「やばい」の終止形としてかっこうの例です。私はさっそくメモし、これがそのまま『三国』の用例として採用されました。電車に乗っていたあの学生は、自分の何げない一言が、まさか辞書に載っていようとは思わないでしょう。