1922年12月27日、山下は、ホワイト・スター・ラインのマジェスティック号でサザンプトン港を出帆、大西洋上で1923年の元旦を迎え、1月4日、ニューヨーク港のエリス島に上陸しました。山下にとって、5年ぶりのニューヨークです。ニューヨークで山下は、まず、日本総領事館と住友銀行紐育支店に立ち寄り、その上で、アンダーウッド・タイプライター社のスティックネー(Burnham Coos Stickney)を訪ねました。
スティックネーは、星野との約束どおり、すでにカタカナ活字の設計に着手していて、あらかたの活字デザインは完成しつつありました。ただ、カタカナには判別の難しいものがあり、これらをどうデザインすべきかは、スティックネーもいいアイデアがなく、かなり苦慮していました。たとえば、ソとリとンです。リをやや縦長にデザインするとしても、ソとンは1画目の縦横だけでは、十分に区別がつきません。これに対して山下は、画の頭に小さな丸を付けるというアイデアを提案しました。シとノにも同様のアイデアを適用しました。一方、ニとミに対しては、漢数字の二三と見分けるために、デザイン上の工夫として小さな丸を付けることにしました。
こうして、山下とスティックネーは、カナタイプライターに取り付ける活字の設計を終えたものの、このカナ活字をニューヨークやハートフォードで量産するのは難しい、というのがスティックネーの意見でした。山下は、このデザインにもとづく活字母型を日本で製作し、それをアンダーウッド・タイプライター社に送ることを約束しました。一方、キー配列に関しては、山下とスティックネーは、様々な点で対立しました。44ないし46キーでの設計を主張するスティックネーに対して、山下はあくまで42キーにこだわったのです。42キーでは、小書きのカナを覚えやすく収録するのは無理だ、と主張するスティックネーに対し、アイウエオを右下に集めれば可能になる、と山下は反論し、実際のキー配列案まで示しました。
ヰやヰを捨ててまで、なぜ42キーにそこまで拘泥するのか、と、訝しむスティックネーに対し、山下は、「Remington Portable」が42キーであり、それに合わせてキー配列を設計したいのだ、と答えました。さらには、「Corona 3」のような3段シフト28キーのタイプライターも視野に入れるなら、収録文字数を84字にして、2段シフト42キーと3段シフト28キーのキー配列を、互いに関係づけて設計すべきだ、と山下は考えていたのです。
(山下芳太郎(41)に続く)