タイプライターに魅せられた男たち・第186回

山下芳太郎(41)

筆者:
2015年6月18日

山下の説明に対し、スティックネーは不快感をあらわにしました。カナタイプライターの活字やキー配列を設計しているのは、あくまでアンダーウッド・タイプライター社のためであって、他のタイプライター会社に使わせるためではない、とスティックネーは断言しました。この横書きカナタイプライターは、そもそも世界中で使われるわけではなく、日本の、それも山下に賛同する人々の間でしか売れない。そういうカナタイプライターを、複数の会社が作ったなら、共倒れになるのは目に見えている。アンダーウッド・タイプライター社も、他社も、両方ともダメージを受けてしまう。もし山下がレミントン・タイプライター社と取引するつもりなら、アンダーウッド・タイプライター社は、この仕事から手を引かせてもらう、とスティックネーは山下に迫りました。

この頃の山下は、長期間の洋行がたたったのか、かなり体調を崩していました。胃に痛みがあって、食欲が湧かず、日に日に衰弱の一途を辿っていました。スティックネーと交渉しようにも、体力も気力もあまり残っていなかったのです。結局、山下は、カナタイプライターに関して、アンダーウッド・タイプライター社との独占契約を結ぶことを決意しました。ただし、2段シフト42キーと、3段シフト28キーのカナキー配列を、それぞれ関係づけて設計すること、という条件を付けたのです。この条件に対し、スティックネーは、2段シフト42キーは引き受けるが、2段シフトと3段シフトを対応づけるなら、3段シフト28キーは無理で、せめて10キー3列、すなわち30キーは必要だ、と主張しました。その上でスティックネーは、小書きのカナは最上段のシフト側に出来るだけ集める、数字は漢数字ではなくアラビア数字(1234567890)で中段のシフト側に並べる、などの改良案を示しました。そうしなければ、2段シフトと3段シフトの対応づけは無理だ、というのがスティックネーの主張でした。

キー配列の最終決定と、カナタイプライターの製造をスティックネーに託し、山下はニューヨークを離れ、アメリカ西海岸へと帰国の途に着きました。サンフランシスコでは、住友銀行桑港支店への挨拶もそこそこに、1923年1月22日、東洋汽船の天洋丸で、横浜に向けて出帆しました。洋上でも、山下の病状は、悪化する一方でした。何を食べても、胃が全く受け付けず、全て吐き戻してしまい、ほとんど絶食状態となってしまったのです。ふっと、長谷川の小さな柩が脳裏に浮かび、しかし、それを打ち消すかのように、山下は、漢字廃止にかける情熱や、ロンドンでの筆記体の廃止や、カナタイプライターのことなどを、カタカナ横書き文で記し続けました。

カンジ ワ ワガ クニ ノ シンポ ハッタツ ヲ ガイスル モノ デ アル カラ ナルベク ハヤク コレ ヲ ハイシ セネバ ナラヌ.

山下芳太郎(42)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。