タイプライターに魅せられた男たち・第184回

山下芳太郎(39)

筆者:
2015年6月4日

1922年8月25日、山下は神戸港にいました。山下は、日本郵船の香取丸にマルセイユまで乗船し、そこから陸路でジュネーブに向かうことになっていました。ジュネーブで開催される第4回国際連盟労働総会(ILO総会)に、日本代表の一人(使用者代表)として出席するためです。山下の心づもりでは、ILO総会の終了後、ジュネーブからロンドン経由でニューヨークへと向かい、横書きカナタイプライター製造の段取りを付けた上で、サンフランシスコ経由で日本に帰る、という、まさに世界一周の旅となる予定でした。

10月3日、政府代表の道家斉や、労働者代表の田沢義鋪とともに、マルセイユに到着した山下は、10月18日から11月5日までジュネーブでILO総会に出席し、10月26日には日本の使用者代表として意見を陳述しています。というのも、労働者代表の田沢が、日本政府を非難する声明を発表し、日本が8時間労働(一部の産業では9時間半労働)条約案を履行していないと攻撃したため、それに対する釈明を、山下がおこなわねばならなくなったのです。

日本の多数の使用者は、条約案の趣旨を実際的に遂行しようとしており、現にこれを実施している者も少なくない。私も、またその一人であった。当時、私が関与していた3つの大きな金属工場は、条約案においては9時間半労働だったが、むしろ8時間制を試みた。しかし、我が国の職工に対し、多年にわたる労働慣習をいきなり変じて、短時間の就業に伴うべき高度の能率の発揮を求めるのは、すこぶる困難なことであった。現に、私の実験によれば、最初の数週間は緊張していた職工も、その後は活動を漸減し、労働効率もどんどん下がっていった。すなわち、欧州の職工が短時間に緊縮的になし得る事柄を、日本の職工は長時間にわたって緩和的に勤務させることが、なお現今においては必要なのだ。どのような緊張状態において従業するかを考えず、単に労働時間の長短のみをもって、職工の健康状態に及ぼす影響を論じることには意味がない。

しかし、山下のこの釈明は、残念ながら一笑に付されました。労働者が暇さえあればサボるのは万国共通であり、だからと言って労働時間を過大にしていいものではない、というのがILOの共通認識だったからです。

ILO総会の会期が終了した後、山下は単身、ロンドンに向かいました。20年ぶりのロンドンは、すっかり変わってしまっていました。恩師のセイラーは亡くなっていましたが、末娘のアテネは舞台女優として活躍していました。セイラーと出会ったクロスビー・ホールは、テムズ川沿いに移転していました。すぐ北のビショップスゲート67番地には住友銀行倫敦支店が開設されていて、支店長の松島準吉が、山下を迎えてくれました。ロンドンで山下の目を引いたのが、「Corona 3」というタイプライターでした。オールドボンド通り30番地にコロナ・タイプライター社の大きなショーウィンドーが出来ていて、そこに3段シフト28キーの「Corona 3」が飾られていたのです。

「Corona 3」

「Corona 3」

山下芳太郎(40)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。