どういう意味?
「朔」は「ついたち」とも読み、月の第一日目を指します。
もう少し詳しく…
『大辞林 第三版』を見ると以下のように書いてあります。
①陰暦八月朔日(ついたち)の称。古く農家で、新穀の贈答や豊作祈願・予祝などの行事が行われ、のち一般化して、贈答の慣習を生んだ。江戸時代には、徳川家康江戸入府の日にあたることから、諸大名・旗本は白帷子(しろかたびら)を着て登城し、祝詞を述べた。また、江戸吉原では、紋日(もんび)とされ、遊女は白小袖を着た。[季語]秋。
②陰暦八月一日前後に吹く強い風。
③ミカンの一品種。広島県で多く栽培される。果実は夏ミカンよりやや小さく果皮がなめらかで甘みがある。温州ミカンと夏ミカンの中間の時期に出回る。
「二百十日」(バックナンバー8/31)でも書いたように、この日は農家にとっては厄日(②にありますね)。やはり「二百十日」と同じように豊作を祈願する行事が行われたようです。
ちなみに…
『全訳読解古語辞典 第三版』には「八朔」のところには大辞林の①と同様の語釈とともに、「現在の「中元」のもと。「田の実(=稲の実)の節句」とも」とあります。「中元」とは道教で旧暦7月15日のこと。現在では7月ごろに行われる「お中元」にそのことばが残っていますが(これはもと「中元」のころに行われたことから)、この贈答の風習が「八朔」と通じているようです。
『全訳読解古語辞典』や『大辞林』で「田の実」を引くと「田に実った稲の実。和歌では多く「頼み」をかけていう」という内容の記述があります(「田の実」と書いて「たのみ」「たのむ」と言ったり、「田の面」と書いて「たのむ」「たのも」と言ったりするようです)。『ホトトギス新歳時記 改訂版』では「八朔」の項に「武家、公家では、君臣朋友相依り相頼むという意味で八朔の贈答が行われていた」と書かれています。
豊作を頼み、お互いよろしくと頼む、それが八朔の日だったんですね。