人名用漢字の新字旧字

常用漢字表の改定と人名用漢字(第3回)

筆者:
2010年6月21日

(第2回からつづく)

さて、「呪怨」ちゃんの出生届は受理されるでしょうか。そのヒントとして、平成5年に起こった「悪魔」ちゃん命名事件を見てみましょう。

悪魔ちゃん命名事件

平成5年8月11日、昭島市役所に、子供の名を「悪魔」とした出生届が提出されました。子供の父親は事前に、「悪魔」が受理可能かどうか昭島市役所に問い合わせていて、問い合わせの回答どおり、この出生届は受け付けられました。8月12日、昭島市役所が東京法務局八王子支局に受理の是非を問い合わせたところ、問題なしとの回答を得たので、昭島市役所は「悪魔」を戸籍に登載しました。

ところが8月13日になって、東京法務局八王子支局から昭島市役所に出生届の受理を保留するよう連絡があり、9月14日には法務省民事局から、「出生子の名を『悪魔』として届出された出生届の処理については消極に解すべきであり、届出人に新たな出生子の名を追完させることとし、届出人が追完に応ずるまでの間は名未定の出生届として処理すべき」との回答が戻ってきました。これを受けて、9月27日には東京法務局八王子支局から昭島市長に、出生届を「名未定」として扱うよう正式の指示が来ました。これにしたがって、昭島市長は戸籍の「悪魔」を赤線で抹消し「名未定」とした上、10月4日には父親に対して、名の追完届を提出するよう催告しました。

これに怒った父親は、一旦「悪魔」と名づけた出生届を受理しておきながら勝手に「名未定」として扱われるのは不服である、として、昭島市長に「悪魔」を戸籍に記載させるよう、平成5年10月20日、東京家庭裁判所八王子支部に家事審判を申し立てました。これに対し、平成6年1月31日に東京家庭裁判所八王子支部が下した審判は、非常に変わったものでした。子供に「悪魔」と名づけるのは命名権の濫用であり、本来は出生届を受理されなくてもやむを得ないケースだが、ただし、本件においては出生届は受理されてしまっているのだから、一旦受理してしまった以上は、昭島市長は戸籍に「悪魔」と記載すべきであって勝手に「名未定」にするのは許されない、というのが審判の内容でした。結果だけ見れば父親側が勝ったのですが、内容的には「悪魔」は命名権の濫用である、という判断だったのです。

この命令に対し昭島市側は、東京高等裁判所に即時抗告しました。「悪魔」が命名権の濫用であれば、そもそも昭島市側の判断は間違っていなかったはずだ、という主張でした。「悪魔」ちゃんの出生届をめぐる争いは、高等裁判所の抗告審に移ったのです。

ところが、父親は平成6年3月14日、昭島市長に対して子供の名を「阿久魔」に変更する旨を打診しました。しかし、昭島市長がこれに難色を示したことから、5月30日、父親は子供の名を「亜駆」とした追完届を昭島市長に提出、昭島市長はこれを受理し「亜駆」を戸籍に登載しました。同時に父親は家事審判申立を取り下げ、昭島市長もこれに同意したことから、即時抗告審(東京高等裁判所平成6年(ラ)第134号)は、未決のまま終結することになりました。

(最終回「呪怨ちゃんの出生届」につづく)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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