(第1回からつづく)
今月24日に『新しい常用漢字と人名用漢字』が発売されます。出版記念と言っては何ですが、第1章「常用漢字と人名用漢字の歴史」の内容を要約したり、あるいはちょっと脱線してみたりしながら、人名用漢字の源流を全6回で追ってみたいと思います。
氏名等を平易にする法律試案
昭和21年5月8日、国語審議会は、常用漢字に関する主査委員会を発足させました。主査委員会の顔ぶれには、吉田澄夫が含まれていました。吉田は文部省教科書局で、国語調査官として働いていたのです。そして、9月25日の主査委員会には、林徹がゲストとして招かれました。主査委員会は、固有名詞に対する漢字制限を視野に入れており、そのためのヒアリングをおこなっていたのです。『標準名づけ読本』の500字を、どのように常用漢字に取り込むか、主査委員会は議論を重ねていたのです。
さらに10月1日の主査委員会には、「氏名等を平易にする法律試案」が提出されました。
審議中の常用漢字表による漢字制限を、氏名全般に及ぼしたい、とする法律案でした。しかし、この「氏名等を平易にする法律試案」には、各委員の賛同が得られませんでした。固有名詞を常用漢字表で制限するのは無理がある、という意見が大勢だったのです。これに対し、文部省教科書局国語調査室の三宅武郎は、最小限の要求として新しく生まれる子供の名前だけは常用漢字表の中から選んでほしい、と食い下がりました。その結果、主査委員会としては「固有名詞はこの表によらなくてもよい」と明記した上で、戸籍法改正については別途はたらきかける、ということになりました。また、この日の主査委員会で、表の名称を、当用漢字表とすることが決まりました。
昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表を文部大臣に答申しました。この時点の当用漢字表は、手書きのガリ版刷りで1850字を収録していました。当用漢字表は、11月11日の次官会議に持ち込まれ、さらに11月12日の閣議に持ち込まれます。そして、昭和21年11月16日、当用漢字表は内閣告示されました。こうして日本の漢字は、当用漢字表の1850字に制限されたのです。しかし、当用漢字表のまえがきには、「固有名詞については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考えることとした。」という一文がありました。この時点では、子供の名づけに対する漢字制限は、まだおこなわれていなかったのです。
(第3回「戸籍法の全面改正」につづく)