前回,婉曲表現に見立てとすり替えとぼかしが用いられると述べました。この3つの概念についてもう少しくわしく説明しておきます。
まずは,見立てについて。今しがた私はデスクトップに仮に保存していたファイルを開いて,この文章を書く仕事を再開しました。一生懸命書いていますが,気に入らなかったらそのファイルはゴミ箱に捨ててしまうかもしれません。
さて,直前の段落に見立てはいくつあったでしょうか。
「デスクトップ」「ファイル」「ゴミ箱」はすべて見立てをもとにした表現です。コンピュータの作り手になったと想像してください。そのとき,コンピュータの画面を何と呼びましょう。できればそこに配置されたアイコンと一緒にうまく言及できると助かります。また,保存された情報のひとつひとつのまとまりを何と言えばいいでしょうか。
ここで採用されたのは,新しく考案された対象を机周りの既成の事物に見立てて命名するやり方です。スクリーンに投影された画面を机の上(デスクトップ)になぞらえる。保存された情報は書類をまとめて挟んで保存するファイルと呼ぶ。そうすると,データを画面上に呼び出したり元へ戻したりことを,ファイルをデスクトップで「開いたり」,「閉じたり」すると言えばいいのです。ファイルを破棄するときのアイコンはもちろん「ゴミ箱」です。これまでの机の上での作業になぞらえたことによって,とてもスムーズに命名できただけでなく,たとえば「ファイル」と名づけたことで,なにやらこむずかしい説明が必要な,電子的に保存された情報のことをすっきりと理解できた気になります。
見立ては,このように,あるものをより身近な別のものになぞらえて理解し,表現する方法です。似ているものは同じ(ようなものだ)という認知戦略がこの表現機構の前提となっています。私たちが物を理解するときのとても基本的な方法でもあります。
いや,見立ての能力は私たち人間という種だけに限られるわけではありません。犬や猫の前で手をパクパク開いたり閉じたりしてやると,じゃれて手「首」に噛みついてきたりしますが,これは,犬やネコが人の手をご同類の顔に見立ててしまったためだと思います。見立てはとても基本的で重要な能力なのです。
そして,いたるところに見立てはあります。「椅子の脚」「本の背」「列の先頭」,「台風の目」,「パンの耳」これらはすべて椅子・本・列などのある部分を人体の部位に見立てた上での命名です。上で挙げたコンピュータ関連の例には,先ほど取り上げたほかにも「仕事を再開しました」「気に入らなかった」という表現がありました。仕事を扉があるような空間にたとえたからこそ「再開」できるのですし,同様に気持ちを入れ物に見立てたからこそ,「気に入る」ことが起こるわけです。
見立ては,レトリックや認知言語学の分野ではメタファーもしくは隠喩と呼ばれますが,ここでは意味の分かりやすい素朴な「見立て」で通します。見立てとすり替えとぼかしです。メタファー・メトニミー・シネクドキと耳慣れない用語がいきなり3つも出てくるのは,少し厳しいかと思います。授業でも,学生はたいていそこで戸惑います。
と,3つの説明を一度にすませるつもりでしたが,見立てについてちょっとがんばりすぎてしまいました。すり替えとぼかしは次回に。