出典
論語(ろんご)・学而(がくじ)
意味
同じ学問に志す人間は、どこからでも集まって、学び合う。同窓・同門のこともいう。
原文
子曰、学而時習レ之、不二亦説一乎。有レ朋自二遠方一来、不二亦楽一乎。人不レ知而不レ慍、不二亦君子一乎。〔子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有(あ)り遠方より来(きた)る、亦た楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや。〕
訳文
孔子(こうし)が言われた。「師の教えてくれたことを学び、いつも繰り返して自分の身につける。なんと喜ばしいことだろう。同じ志をもつ友達が遠くからでもやってきて一緒に学ぶ。なんと楽しいことだろう。たとえこうした生き方を他人がわかってくれなくても、気にかけたりはしない。それこそ君子といえるのではあるまいか。」
解説
『論語(ろんご)』の開巻第一に出てくる言葉。読み方には数種あり、道春(どうしゅん)点(=林(はやし)道春=林羅山(らざん)のつけた訓点)の「朋(とも)遠方より来(きた)る有り」という古い訓読法もあるが、見出し句の読み方は、江戸時代の後藤(ごとう)点(後藤(ごとう)芝山(しざん)のつけた訓点)という訓読法であり、これが一般に用いられる。また「有」と「友」は同音なので、「有朋(とも)」と読み、「有(友)朋、遠方より来る」と読む学者もいるし、「有(友)朋、遠きより方(なら)び来る」という読み方もある。「不慍」は「いきどおらず」とも読む。この『論語』冒頭の文はすべて学問の喜びについて述べたもので、見出し句は第二段にあたる。学問を共に志すものは、孤独ではない。必ず遠くからもやってきて、同じ道にいそしむ喜びが味わえるのだ、ということを言っているものである。
類句
◆学(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや