今から百年ほど前のこと、横浜からシアトルへ向かう船「絵島丸」に乗り込んだ早月葉子は、有名な田川博士とその夫人に船上で出会う。高飛車な田川夫人に、葉子は自ら進んで『下位者』として応対し、田川夫人を『上位者』として扱う。これは有島武郎『或る女』の一場面である。(あっ、今回と次回は引用が少々長いですけど、ぜひお付き合いください。次回、ひんやりした納涼気分をお約束しますから。)
事務長が帽子を取って挨拶しようとしている間に、洋装の田川夫人は葉子を目指して、スカーツの絹ずれの音を立てながらつかつかと寄って来て眼鏡の奥から小さく光る眼でじろりと見やりながら、
「五十川さんが噂(うわさ)していらしった方はあなたね。何んとか仰有(おっしゃ)いましたねお名は」
と云った。この「何んとか仰有いましたね」という言葉が、名もないものを憐(あわれ)んで見てやるという腹を十分に見せていた。今まで事務長の前で、珍しく受身になっていた葉子は、この言葉を聞くと強い衝動を受けたようになって我れに返った。どう云う態度で返事をしてやろうかという事が、一番に頭の中で二十日鼠(はつかねずみ)のように烈しく動いたが、葉子はすぐ腹を決めてひどく下手(したで)に尋常に出た。「あ」と驚いたような言葉を投げておいて、叮嚀(ていねい)に低くつむりを下げながら、
「こんな所まで……恐れ入ります。私早月葉(よう)と申しますが、旅には不慣れでおりますのに独旅で御座いますから……」
と云って、眸を稲妻のように田川に移して、
「御迷惑では御座いましょうが何分宜(よろ)しく願います」
と又つむりを下げた。
[有島武郎『或る女』1911-1913.]
編集部注:本文中の傍点は省いた。
田川夫人も『上位者』としての応対が板についている人で、葉子と田川夫人の関係は『下位者』と『上位者』という形で安定したかに見えるのであった。
一座の人々も、日本人と云わず外国人と云わず、葉子に集めていた眸を田川夫妻の方に向けた。「失礼」と云ってひかえた博士に夫人は一寸頭を下げておいて、皆んなに聞える程はっきり澄んだ声で、
「とんと食堂にお出(い)でがなかったので、お案じ申しましたの。船にはお困りですか」と云った。さすがに世慣れて才走ったその言葉は、人の上に立ちつけた重みを見せた。葉子はにこやかに黙ってうなずきながら、位を一段落として会釈(えしゃく)するのをそう不快には思わぬ位だった。
[有島武郎『或る女』1911-1913.]
ところが、そうではなかったのである。
外界とは切り離された、何十日にもわたる長い船上生活の中で、外界とつながらなければ意味のない身分や学歴などに代わって、新しい秩序が頭をもたげてきたのである。いまそこにある葉子の圧倒的な美しさが、徐々に人々をとらえ、葉子の地位を押し上げてきたのである。(つづく)