日本語社会 のぞきキャラくり

第26回 上昇調で驚くか、下降調で驚くか

筆者:
2009年2月15日

それまで当たり前だと思っていたことが違っている。思わず「あれっ!」と叫ぶ。この「あれ」は、ふつう「あ」がより低く、「れ」がより高い。つまり「あ」から「れ」にかけて声の高さが上昇する。上昇調である。

もっとも、「あれ、そのようなことを。なりませぬ、なりませぬ」などというセリフでは、「あれ」は「あ」がより高く、「れ」がより低い。これは「あ」から「れ」にかけて声の高さが下降する、下降調である。

最初に挙げた上昇調の「あれっ!」は、多くの人に発せられる。その一方で「あれ、そのようなことを」の下降調の「あれ」は、『時代劇のお嬢様』のことばといった特殊なイメージがある。(「まろは~でおじゃる」としゃべる『平安貴族』キャラのようには時代が限定できないので、ここではあえて『時代劇の』としておく。)

つまり、上昇調で発せられる驚きの「あれ」は、話し手のキャラクタが多様で特定しにくいのに対して、下降調で発せられる驚きの「あれ」は、話し手のキャラクタが特定しやすい。

「あれ」と似たことは「あら」にも観察できる。当たり前だと思っていたことが違っている時、多くの人が発する「あらっ」は、「あ」から「ら」にかけて上昇する上昇調である。「あ」から「ら」にかけて下降する下降調の「あら」は、「あら、知らなかったわ」のような『マダム』という特定のキャラクタの言い方である。

「おや」の場合、やや微妙にはなるが《上昇調で発せられる場合、話し手のキャラクタは多様で特定しにくい。下降調で発せられる場合、話し手のキャラクタは特定しやすい》という傾向はやはり動かない。もともと「おや」は『子供』のことばではないが、まだ『子供』と折り合いが付くのは上昇調の「おや」である。たとえば、教育テレビで放映されている小学校理科の番組で、『博士』と『子供』が次のように会話しているとする。

 『博士』:それじゃあ、溶液に漬けた試験紙を見てみようか。
  『子供』:うん。……おや、赤いリトマス紙が、青くなってるね。

この「おや」は、「お」がより低く「や」がより高い上昇調だろう。下降調ではまったく『子供』らしくなくなってしまう。

「まあ」は、「ま」がより高く「あ」がより低い下降調では発せられるが、上昇調では発せられない。この点で「まあ」は、これまでに取り上げた驚きの感動詞とは異なるが、この下降調の「まあ」が「まあ、そうなの」のような『マダム』の言い草を思わせることからすると、やはり上の傾向(いまの場合《下降調で発せられる場合、話し手のキャラクタは特定しやすい》の部分)は成り立っている。「細かいところで問題はいろいろあるが合格だ」というきもちで「まあ、合格にしときます」と言う場合のような、細部を切り捨てた判断をしてみせる際の「まあ」は『マダム』には似つかわしくないが、この「まあ」はそもそも、ここで問題にしている驚きの感動詞でないということに注意されたい。

「まあ」と同じく下降調でしか発せられない「なんと」も、『老人』キャラか『時代劇の大人』キャラにかぎられてくる。

以上で述べたのは、第一に、さまざまな話し手に広くおこなわれている、驚きの感動詞の発し方とは、低い声から高い声へと、声を上昇させて発するというものだ、ということである。こうした上昇調の一般性は、驚くということが平静状態から興奮状態への変化だということに思い当たれば、よく理解できるだろう。

第二に、感動詞によっては、下降調でも(あるいは下降調だけで)発せられるということがある、ということである。それは驚きのやり方としては、一般的ではないものであり、そのことは話し手のキャラクタの特定しやすさにも反映されている。

 

感心した時に、子供は「ふーん」「へぇ」とは言うが、「はぁ」「ほぅ」とは言わない。子供は、「はぁ」「ほぅ」が自分のキャラクタのことばではなく、『大人』キャラのことばだと知っている――これが第23回で述べたことである。

感心を驚きの一種と考えると、感心の「ふーん」「へぇ」「はぁ」「ほぅ」が上昇調で発せられ得ることはそのまますんなり理解できるだろう。では、下降調はどうか。

上で述べたことからすれば、下降調ということは、キャラクタが特定されやすいということである。そして実際、下降調の「ふーん」「へぇ」「はぁ」「ほぅ」を発する話し手は、『大人』キャラに特定される。その上での話だが、下降調の「ふーん」「へぇ」と下降調の「はぁ」「ほぅ」では、思い浮かびやすさが違う。「ふーん」「へぇ」の下降調は、『大人』がいかにも感に堪えかねたという場合にはあるとはいえ、思い浮かびにくい。それに比べると「はぁ」「ほぅ」の下降調の方が『大人』の物言いとして思い浮かびやすい。これは、「はぁ」「ほぉ」がそれだけ『大人』キャラのことばだということである。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。