西先生は、エンサイクロペディアとは普通講義するものでない、ただしイギリスでは「政治学のエンサイクロペディア」という前例があると述べていました(第13回、14回)。
それはいったいどういう講義なのかと追跡してみたところ、18~19世紀のドイツに淵源があるらしいことが見えてきたのでした。
ここではもう詳細には立ち入りませんが、実際に『政治学説――入門としての政治学のエンチクロペディーならびに方法論(Staatswissenschaftslehre oder Enzyklopädie und Methodologie der Staatswissenschaft als Einleitung)』(アレクサンダー・リプス著、1813)なる書物も残されています。ここ何回かにわたって見てきた法学、文献学、哲学と同様、政治学についてもエンチクロペディーと方法論(メトドロギー)という講義が開かれていたことが分かります。
西先生が言及していたイギリスの例については、直接該当しそうな事例に遭遇できていませんが、以上の検討から、エンサイクロペディア/エンチクロペディーという講義が、欧米の大学で行われていた様子は掴めると思います。
それは、ある学術領域に入門するにあたって、あるいは締めくくるにあたって、その全体を概観し、諸部分同士の関係を確認することを目的とする講義でした。
各種学術領域における「エンチクロペディーならびに方法論」の講義は、その後、「概論」や「入門」といった名称に取って変わられてゆき、初学者に手ほどきする科目として、いまでも大学などで講義されているところです。
こうしたことを念頭において、「百学連環」という講義を眺め直せば、「百学連環」とは、学術全体についてのエンサイクロペディアであると言えるでしょう。
思えば高校や大学などでは、ついぞ「百学連環」のような講義にお目にかかったことがありません。しかし、考えてみると、これから学術の諸領域について学ぼうという人たちや、そのなかのどこを専門として選ぼうかという人たちにこそ、「百学連環」のように全学術を総覧して、その相互関係を見渡す道案内が必要であるような気がします。
ここで思い出されるのは、西先生の同時代人でもあるJ.S.ミル(John Stuart Mill, 1806-1873)の言葉です。彼は、教養教育の重要性を説いた人でもありましたが、大学教育についてこんなことを述べています。
学生が大学で学ぶべきことは知識の体系化についてです。つまり、個々に独立している部分的な知識間の関係と、それらと全体との関係とを考察し、それまでいろいろなところで得た知識の領域に関する部分的な見解をつなぎ合わせ、いわば知識の全領域の地図を作りあげることです。
(J.S.ミル『大学教育について』、竹内一誠訳、岩波文庫、2011、p.15; 原書、p.8)
少し補足すると、ここで「体系化」と訳されている言葉は、methodize、つまり、「順序立てる」「組織立てる」「方式化」するという意味でもあり、これは「エンチクロペディーならびに方法論」という場合の「メトドロギー(Methodologie)」というドイツ語とも響き合うものです。
ミルは、この講義において、学術の全体像を知らぬままその一部を専門として没頭することの剣呑さについて、繰り返し警鐘を鳴らしています(ただし、それは専門そのものを否定することではありません)。現在、「百学連環」的なるものが不在であることと考え合わせると、余計に耳が痛くなるお言葉でもあります。
というわけで、「百学連環」の本文に戻りたいと思います