出典
史記(しき)・伯夷(はくい)列伝
意味
この世の秩序や運命は果たして正しい者に味方しているのか。この世にはほんとうに正しい道理があるのか。「天道」は、人間をつかさどる人力を超えた宿命。宇宙を支配する力。「是か非か」は、正しいのか、まちがっているのかということ。運命に対する基本的な疑問を表した句である。
原文
武王已平二殷乱一、天下宗レ周。而伯夷叔斉恥レ之、義不レ食二周粟一、隠二於首陽山一、采レ薇而食レ之。・・・・・・遂餓二死於首陽山一。由レ此観レ之、怨邪非邪。或曰、天道無レ親、常与二善人一。若二伯夷叔斉一、可レ謂二善人一者、非邪。・・・・・・行不レ由レ径、非二公正一不レ発レ憤、而遇二禍災一者、不レ可レ勝レ数也。余甚惑焉。儻所謂天道是邪非邪。〔武王(ぶおう)已(すで)に殷(いん)の乱を平らげ、天下周(しゅう)を宋(そう)とす。而(しか)るに伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)これを恥じて、義として周の粟(ぞく)を食らわず、首陽山(しゅようざん)に隠れ、薇(び)を采(と)りてこれを食らう。・・・・・・遂(つい)に首陽山に餓死す。これに由(よ)りてこれを観(み)るに、怨(うら)みたるか非か。或(あ)るひと曰(いわ)く、天道親(しん)無し、常に善人に与(くみ)す、と。伯夷・叔斉の若(ごと)きは善人と謂(い)うべき者か、非か。・・・・・・行くに径(こみち)に由(よ)らず、公正に非(あら)ざれば憤りを発せず、而して禍災(かさい)に遇(あ)える者、数うるに勝(た)うべからず。余甚だ惑う。儻(も)しくは所謂(いわゆる)天道是か非か。〕
訳文
(殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の家臣だった)周(しゅう)の武王(ぶおう)は、殷の紂王の無道を平らげて、天下は周を宗主とするようになった。伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は、おのが君主を討った武王に仕えるのを恥とし、正しい道を守って、周の国の粟(あわ)を食べることを潔しとせず、首陽山(しゅようざん)に隠れて薇(わらび)を採り、これを食べていた。・・・・・・とうとう首陽山で餓死してしまった。このことから考えるに、かれらは怨(うら)みを抱いていたのであろうかいなかったのであろうか。ある人はこう言っている。「天の道は決してえこひいきはしない。いつも善人の味方だ。」と。伯夷・叔斉などは善人というべきではないか、そうではないのか。(孔子(こうし)の弟子の中で、最も正しい人だった顔回(がんかい)は貧困のうちに若くして死んだ。盗跖(とうせき)という泥棒は悪事の限りを尽くしながら、世に横行した。今の世でも正しくない者が、一生富み栄えている。)どんなときでも大道を歩み、正しいことにかかわることでなければ怒りを発することをしない者、そういう人が、災いに遭っている例は数えきれないくらいだ。わたし(=司馬遷(しばせん))はこうした現実の世にたいへん迷わずにはいられない。果たして天道というものは正しいものなのか、そうではないのか。
解説
司馬遷(しばせん)は友人李陵(りりょう)の事件に連座して宮刑(きゅうけい)に処せられた。その非合理な世に対する恨みが、このような感慨となって表れたものとも考えられる。
類句
◆采薇(さいび)の歌(うた) ◇首陽(しゅよう)の薇(わらび)