太宰治『走れメロス』は雑誌『新潮』の1940年5月号に発表され、同じ年の6月15日に刊行された単行本『女の決闘』(河出書房)に収められている。現在では、中学校の国語教科書に載せられているので、よく知られている作品といってよいだろう。
作品は次のように終わる。
ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。
教科書に載せられている作品にしては、なかなかしゃれた感じの終わり方だなと思ったような記憶がかすかにある。しかし、この後に「(古伝説と、シルレルの詩から)」と記されていることはすっかり忘れてしまっていた。「シルレル」はもちろん、ドイツの詩人、劇作家として知られている、フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805)のことである。ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付き」の原詞の作者といえばよいだろうか。メロスを「村の牧人」としたのは、太宰治の設定であることも指摘されている。さて、このメロスがどこで『日本国語大辞典』につながるのかというと、次のような見出しがあったからだ。
メロス〔名〕({ギリシア}melos)旋律。特に音の旋律的な上下の動きをさす。
この見出しをみて、「走れメロス」の「メロス」は〈旋律〉という語義をもつギリシャ語だったのか! と思ってしまった。ところが調べてみると、話はそう単純ではなかった。「メロス」はシラーの綴りに従えば、「Meros」となるはずであるとの指摘がある。しかるに、「走れメロス」のヨーロッパ諸語での訳においては「メロス」が「melos」と綴られているという。なぜ、ヨーロッパ諸語の翻訳者が「melos」と綴ったのかはもちろんわからないが、そのことによって、「走れメロス」と「旋律、歌」とにかすかながらにしても、つながりが生じていることはおもしろい。ただし、そのことは太宰治とは無関係であるのだが。
「メロス」の次にあった外来語は「メロディアス」で、「メロディー」「メロディック」と続いて、「メロドラマ」があった。
メロドラマ〔名〕({英}melodrama ギリシア語のメロスとドラマの結合した語)(1)演劇形式の一つ。誇張された情況設定やせりふをもつ通俗的な演劇。ヨーロッパで、中世から近世に行なわれ、せりふの合間に音楽を伴奏した娯楽劇。(2)恋愛をテーマとした感傷的なドラマや映画。
小型の国語辞典は「メロドラマ」をどのように説明しているかあげてみよう。
大衆的、通俗的な恋愛劇。▽melodrama(岩波国語辞典第7版新版、2011年)
〈melodrama〉(映画やテレビ番組などで)通俗的で感傷的な恋愛劇。(集英社国語辞典第3版、2012年)
[melodrama]〘名〙恋愛を中心とした感傷的・通俗的な演劇・映画・テレビドラマなど。▽メロス(=旋律)とドラマを結びつけた語。元来は一八世紀後半のフランス・ドイツなどで発達した音楽入りの大衆演劇。(明鏡国語辞典第2版、2010年)
〔melodrama〕㊀歌の音楽をふんだんに使った、興味本位の通俗劇。㊁愛し合いながら なかなか結ばれない男女の姿を感傷的に描いた通俗ドラマ。(新明解国語辞典第7版、2012年)
〔melodrama〕映画・演劇・テレビなどの、通俗(ツウゾク)的な恋愛(レンアイ)劇。(三省堂国語辞典第7版、2014年)
〈melodrama〉[名] 通俗的で感傷的な劇。(新選国語辞典第9版、2011年、小学館)
「メロドラマ」の「メロ」は「メロメロ」と関係があるとはさすがに思っていなかったが、ギリシャ語「メロス」だったとは知らなかった。「メロス」とのかかわりにふれているのは、上にあげた辞書の中では『明鏡』のみ。「通俗的」「恋愛(劇)」「感傷的」が、「メロドラマ」を説明するキー・ワードであることがわかる。こうした語釈を並べてみると、『新明解国語辞典』の㊁は目立つ。「なかなか結ばれない」は辞書の語釈としては、限定的過ぎると感じるがみなさんはいかがでしょうか。では最後にもう1つ。
メセナ〔名〕({フランス}mécénat)文化・芸術などを庇護・支援すること。特に、企業などが見返りを求めずに資金を提供する文化擁護活動をいう。紀元前一世紀のローマの将軍、ガイウス=マエケナス(Maecenas)が、隠退後、ホラティウス、ウェルギリウスなどの芸術家を庇護したところから、その将軍の名にちなむ。
日本では1988年の「日仏文化サミット」をきっかけとしてひろがりをもつようになったとのことで、1990年代にはしきりにこの「メセナ」という語が使われていたことを記憶している。『朝日新聞』の記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」に「メセナ」で検索をかけてみると、やはり1988年の「日仏文化サミット」の記事がもっとも古い例としてヒットする。ごく小型の仏和辞典で調べてみても、「mécénat」は見出しになっており、そこには「学問芸術の擁護」というような説明がある。フランスでは、これが将軍の名前であることはわかっているのだろう。
それにしても、最近は新聞などを読んでいても、この「メセナ」という語にであうことがめっきり少なくなったように思う。こういう時だからこそ、学問芸術を擁護してもらいたいと思う。
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