現在は辞書が電子化されている。インターネットを使って辞書を使うこともできる。『日本国語大辞典』第2版にも「オンライン版」があり、それにはさまざまなかたちの検索ができる機能もある。電子化された辞書には便利な面がある。
電子化された辞書がひろく使われるようになってきて「紙の辞書」という表現がみられるようになった。『朝日新聞』の記事データベース「聞蔵(きくぞう)Ⅱビジュアル」で「紙の辞書」を検索してみると、1989年10月20日の記事が、もっとも古い使用例として見つかる。
少し前だと、机の上に電子辞書を出して、それを使いながら授業をきいている学生が少なくなかった。そういう状況の時は、「ではこの語を電子辞書で調べてみてください」というように、積極的に電子辞書を使いながら授業を進めるようにしていた。電子辞書の場合、そこに、ある具体的な辞書が電子化されているということが「見えにくい」。例えば、多くの電子辞書には『広辞苑』がコンテンツとして入れられている。複数の辞書が入れられている場合もある。この電子辞書のコンテンツは何かということは最初はわかっているはずだが、次第にそれは鮮明ではなくなるようで、学生に、何が入っているかをたずねてもわからないことが少なくない。「電子辞書」という、いわば「顔」をもたない辞書を調べているといえばよいだろうか。それに対して、実際に「紙の辞書」を調べる場合は、今自分が調べている辞書が何という名前の辞書なのかを知らずに調べるということは考えにくい。こういう違いもある。
電子辞書と「紙の辞書」と、どちらがいいか、という議論もしばしば目にする。そんな時に「紙の辞書」は、調べようとしている語(句)だけでなく、そのまわりの語(句)にも自然に目がいくからいいのだ、という意見が必ずある。筆者は、どちらかといえば、「紙の辞書」派だろうが、この意見は実はぴんとこない。「紙の辞書」の良さを過不足無く表現しているように感じられないということであろうか。
『日本国語大辞典』をよんでいくと、「この語とこの語とが隣り合わせの見出しになっているのか!」と思うようなことが時々ある。もちろん偶然そうなったのであるので、偶然の面白さということに尽きるが、「おっ」と思う。『日本国語大辞典』をよむ、という作業は基本的にはおもしろいのだが、何しろ相手が膨大なので、毎日少しずつよみすすめるしかない。そして、毎日きちんとよみすすめていってもなかなか「ゴール」が見えない。1冊はだいたい1400ページぐらいのことが多いので、1日5ページよんだとしても、280日、9ヶ月以上かかってしまう。このペースで13冊、2万ページをよむと、読了まで4000日かかることになる。十年以上だ。だからもっと早いペースでよまなければいけないし、時には半日よみ続ける日もある。そんなことを思うと、時々気が遠くなる。しかしそんなことも言っていられない。そんな時に、次のような「おっ」は息抜きになる。
テクノストレス〔名〕({英}technostress)コンピュータなど各種OA機器の導入による職場の高技術化に伴って心身に生ずるさまざまなストレス。アメリカの心理学者クレイグ=ブロードの造語。
でくのぼう【木偶坊】〔名〕(1)人形。操りの人形。でく。くぐつ。でくるぼ。でくるぼう。(2)役に立たない者。役立たずの者をののしっていう語。でく。
デリケート〔形動〕({英}delicate)(1)(人の心・感情などについて)鋭敏で、傷つきやすいさま。繊細なさま。(2)(鑑賞、賞美するものなどについて)微妙な味わいを持っているさま。また、微細な差のあるさま。(以下略)
てりごまめ【照鱓】〔名〕ごまめをいり、砂糖としょうゆをまぜて煮つめた汁に入れて、さらにいり上げたもの。正月料理に用いる。
とろくさい〔形口〕[文]とろくさ・し〔形ク〕(「くさい」は接尾語。「とろい」の強調語)なまぬるい。まだるっこい。また、ばかばかしい。あほらしい。
どろくさい【泥臭】〔形口〕[文]どろくさ・し〔形ク〕(1)泥のにおいがする。(2)姿やふるまいがあかぬけていない。いなかくさい。やぼったい。
この程度のことで息抜きをしているようでは危ないですね。さて次のような見出しがあった。
ゆあみど【湯浴処】〔名〕「ゆあみどころ(湯浴所)」に同じ。
ゆあみどころ【湯浴所】〔名〕ゆあみする所。風呂場。ゆあみど。ゆあびどころ。
上の2つの見出しの間には「ゆあみどき(湯浴時)」があるので、上の2つは隣り合わせではないが、すぐ近くにある。前者には「あらたま〔1921〕〈斎藤茂吉〉折々の歌「ふゆさむき瘋癲院の湯(ユ)あみどに病者ならびて洗はれにけり」が、後者には「太虗集〔1924〕〈島木赤彦〉梅雨ごろ「五月雨のいく日も降りて田の中の湯あみどころに水つかむとす」が使用例としてあげられている。
島木赤彦の『太虗集』は「大正九年七月斎藤茂吉君の病を訪ひて長崎に至ることあり。大村湾にて」という詞書きをもつ作品から始まっている。改めていうまでもないが、島木赤彦、斎藤茂吉は、土屋文明とともに、『アララギ』を代表する歌人であった。茂吉は第3句に4拍の「ユアミド」を、赤彦は第4句に6拍の「ユアミドコロ」を使って、それぞれの句を定型に収めているので、そこからすれば「ユアミド」「ユアミドコロ」の使用は「必然」であったことになる。しかし『日本国語大辞典』はそれぞれの使用例に茂吉、赤彦の作品しかあげていない。『太虗集』によれば、上の「五月雨の」は大正10(1921)年の作品であることがわかる。一方、茂吉の「ふゆさむき」は『あらたま』によれば、大正5(1916)年の作品である。ここからは筆者の「妄想」であるが、赤彦は茂吉の作品によって、「ユアミド」という語にふれていたということはないだろうか。そしてそれを自身の作品にふさわしい語形に「新鋳」して使った。こんな「妄想」ができるのも『日本国語大辞典』のおかげといってよい。
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