前回の最後で「カエルデ」から「カエデ」になったと述べた。『日本国語大辞典』は見出し「かえで【楓・槭樹・鶏冠木】〔名〕」に「(「かえるで(蝦手)」の変化した語)」と記している。『万葉集』巻8に収められている1623番歌「吾屋戸尓 黄変蝦手 毎見 妹乎懸管 不恋日者無」は現在「我(わ)がやどにもみつかへるで見るごとに妹をかけつつ恋ひぬ日はなし」(=我が家の庭に色づくかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はない)と詠まれており、「蝦手」が「かへるて(かへるで)」を書いたものと推測されている。
「カヘルデ」から一気に「カエデ」になったとは考えにくく、おそらく「ル」が撥音化した「カヘンデ」というような語形を経て、その撥音が脱落して「カエデ」になったものと思われる。「クスシ」は「薬師」と書くことからわかるように、「クスリシ」が変化した語であるが、やはり「クスリシ」→「クスンシ」→「クスシ」と変化したと推測できそうだ。「カエデ」「クスシ」はもとの語形「カエルデ」「クスリシ」から一気に到達する語形ではない点で、「だいぶ違う」といえるように思う。今回はそのような、もとの語形からすると、「おお!」と思うような変異形を話題にしてみよう。
「カッタルイ」という語がある。『日本国語大辞典』は語義(1)として「体がだるく、ものうい。疲れた感じでだるい」、語義(3)として「まわりくどくてめんどうだの意の俗語」と説明している。この「カッタルイ」は「カイダルイ」の変化した語とある。そこで見出し「かいだるい」をみると次のようにある。
かいだるい【腕弛】〔形口〕[文] かひだるし〔形ク〕(「かいなだるい(腕弛)」の変化した語)(1)腕がくたびれてだるい。(2)身体や身体の一部が疲れてだるい。かったるい。
かいなだるい【腕弛】〔形口〕[文] かひなだるし〔形ク〕腕が疲れた感じで力がない。かいなだゆし。かいだゆし。かいだるい。
これらの記事を整理すると、「カイナダルイ」→「カイダルイ」→「カッタルイ」と変化したことになる。「カッタルイ」はいうなれば「三代目」ということになる。さて、筆者は神奈川県の出身であるが、中学生の頃には「カッタルイ」あるいは「ケッタルイ」という語形を耳にしていたし、自身でも使っていたような記憶がある。『日本国語大辞典』は見出し「かいだるい」の方言欄に千葉県夷隅郡の「けったりい」、千葉県香取郡の「けえたりい」をあげているので、こうした語形にちかいものと思われる。
次のような語形もあった。
かねがん【金勘】〔名〕「かねかんじょう(金勘定)」の変化した語。
使用例として「浮世草子・忠義太平記大全〔1717〕」があげられているので、江戸時代にはあった語であることがわかる。「カネカンジョウ」と「カネガン」もすぐには繫がらない。変化のプロセスを推測すれば、「カネカンジョウ」が「カネカン」という語形に省略されて、それがさらに「カネガン」となったものとみるのがもっとも自然であろう。漢字で「金勘」と書いてあれば、なんとか「カネカンジョウ(金勘定)」という語とかかわりがあるかな、ぐらいはわかりそうだが、耳で「カネガン」と聞いてもなかなか「カネカンジョウ」には繫がりにくそうだが、それは現代人の「感覚」なのかもしれない。とにかく、だいぶ違う。
くちびら【唇】〔名〕「くちびる(唇)」の変化した語。
くちびる【唇・脣・吻】〔名〕(1)(「口縁(くちべり)」の意。上代は「くちひる」か)
くちべろ【唇・口舌】〔名〕「くちびる(唇)」に同じ。
「くちべろ」の使用例として「夢酔独言〔1843〕」があげられている。現在でも「シタ(舌)」のことを「ベロ」ということがあるが、『日本国語大辞典』は見出し「べろ」の使用例として「物類称呼〔1775〕」をあげているので、「ベロ」は18世紀には使われていたことがわかる。そうすると、「クチベロ」の語形をうみだすプロセスにこの「ベロ」が干渉していないかどうかということになりそうだ。見出し「くちびる」に記されている「「口縁(くちべり)」の意」はいわば語源の説明であって、上代に「クチベリ」という語形の存在が確認されているわけではないと思われる。「クチベリ」をスタート地点に置くと、「クチビル」もすでにだいぶ変化しているように思われるが、その「クチビル」をスタートとすると、「クチビラ」は母音[u]が母音[a]に替わった、母音交替形にあたる。まあ耳で聞いた印象はちかいといえばちかい。「クチベロ」は「クチビル」の「ビ」の母音が[i]から[e]に、「ル」の母音が[u]から[o]に替わっており、母音が2つ替わっているので、耳で聞いた印象は少しとおくなる。「クチベリ・クチビル・クチビラ・クチベロ」と連続して発音すると早口言葉のようだ。
ぐんて【軍手】〔名〕白の太いもめん糸で編んだ手袋。もと軍隊用につくられたための呼称。軍隊手袋。
ぐんたいてぶくろ【軍隊手袋】〔名〕「ぐんて(軍手)」に同じ。
ぐんそく【軍足】〔名〕軍用の靴下。太い白もめんの糸で織った靴下。
見出し「ぐんたいてぶくろ」には龍胆寺雄の「放浪時代〔1928〕」の使用例があげられている。冷静に考えれば、「ぐんて(軍手)」の「ぐん(軍)」は「軍隊」ぐらいしか考えられないが、身近な存在となっているので、そこに気がまわらなかった。「ぐんそく(軍足)」は両親のいずれかが使った語であったと記憶しているが、どういう場面で使われたかまでは覚えていない。「ぐんたいてぶくろ」を略した「ぐんて」、これもだいぶ違う語形に思われる。さて最後にもう1つ。
ことよろ【殊宜】〔名〕ことによろしいの意で用いる近世通人の語。
使用例として「洒落本・素見数子〔1802〕」があげられているので、19世紀初頭には存在した語であることがわかる。筆者は「あけおめ」が最初わからなかった。いつ知った語か、いまでは記憶にないが、学生との会話の中で知ったような気がする。ちなみにいえば、『日本国語大辞典』は「あけおめ」を見出しとしていない。
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