『日本国語大辞典』をよんでいて、次のような見出しがあった。
きんこんしゃ【金根車】〔名〕中国、古代の天子の乗る輿(こし)。もと、天子の徳が山林にまで及べば出るとされた瑞車。秦の始皇帝がそれにもとづいて金の飾りをつけた車をつくり、自分の乗用としたもの。きんこん。*魏志-武帝紀「乗㆓金根車㆒、駕㆓六馬㆒」
『日本国語大辞典』は「ずいしゃ(瑞車)」を見出しにしていないが、〈めでたい車〉と考えればよいだろう。それにしても、秦の始皇帝、自分で作ってしまうとは。この見出し「きんこんしゃ」に先立って、見出し「きんこん」があった。
きんこん【金根】〔名〕(1)「きんこんしゃ(金根車)」に同じ。*江都督納言願文集〔平安後〕二・中宮御堂供養願文「金根廻㆑駕、錦幡飛㆑旒」*播岳-藉田賦「金根照耀以烱晃兮、龍驥騰驤而沛艾」(2)(唐の文人韓愈(かんゆ)の子、昶(ちょう)が、父に似ないで学才なく、史伝にあった「金根車」という語を、「金銀車」の誤りであると思って、変えてしまったという「尚書故実」の故事から)文字の誤読、また、誤用をいう語。*万国政表〔1860〕凡例「始て金根の誤解を免るることを得たり」
『尚書故実』は9世紀の後半に李綽が著したとされている。『万国政表』は西洋の統計書の、日本における最初の翻訳書で、初めは福沢諭吉が翻訳に着手した。しかし福沢諭吉が咸臨丸に乗船して渡米することになったために、福沢諭吉の弟子で慶應義塾の初代塾長となった古川正雄(筆名岡本博卿)(1837~1877)が翻訳を受け継ぎ、福沢諭吉の帰国後に「福澤子囲閲/岡本約博卿譯」というかたちで出版した。この本には大槻磐渓の序が置かれている。今はほんとうに便利な時代で、『万国政表』は磐田市立図書館の電子書籍サービスを利用して、原態によって全文を読むことができる。それにより、『万国政表』の「凡例」を確認してみると、「而シテ譯稿未タ半ニ及ハスシテ忽チ米利堅ノ行アリ因テ約ニ命シテ續譯セシム約才短學淺豈其人ナランヤ幸ニ先生ノ譯例アルヲ以テ速ニ卒業スト雖トモ未タ曾テ人ニ示サス茲ニ先生ノ栄帰ヲ待テ點閲ヲ乞ヒ始テ金根ノ誤解ヲ免ルヽヿヲ得タリ」と記されている。見出し「きんこん」にはこの『万国政表』の使用例しかあげられていないが、こうした文献の使用例が示してあることは貴重だ。
先に述べたように「凡例」を書いた岡本博卿すなわち古川正雄は福沢諭吉の弟子である。古川正雄は19歳の時、1856(安政3)年に大阪の緒方洪庵の適塾に(岡本周吉名で)入門している。漢学は広島で修めている。そういう「リテラシー」を背景にしてこの「きんこん(金根)」という語が使われているということをきちんと理解する必要がある。そういうことが推測できるという意味合いにおいて、たとえ1例であっても、どういう人が使ったか、あるいはどういう文献で使われているか、という「使用例」があることの意味合いは重要である。使用例があることによって、その語の歴史が垣間見えることがある。
さて、オンライン版の検索機能を使うと誤読によってうまれたと思われる語を探しだすことができる。「全文(見出し+本文)」という範囲を設定し、「誤読」で検索をかける。
えんぴ 【円匙】〔名〕「えんし(円匙)」の誤読。*肉弾〔1906〕〈桜井忠温〉一四「円匙(ヱンピ)の音、十字鍬の響が」*B島風物誌〔1948〕〈梅崎春生〉「エンピを柔かい腐蝕土につきたて、ほり起した土を〈略〉すくいあげて投げすてる」
ごびょう【誤謬】〔名〕「ごびゅう(誤謬)」の誤読による慣用読み。*改正増補和英語林集成〔1886〕「Gobyō ゴベウ 誤謬」*妾の半生涯〔1904〕〈福田英子〉はしがき「謀慮(おもんぱか)りし事として誤謬(ゴベウ)ならぬはなきぞかし」
たとえば上の場合は振仮名や仮名書きあるいはローマ字綴りによって、「エンピ」「ゴビョウ」という語形が使われたことがはっきりしている。このような場合は、「誤読によってうまれた語」というような説明をしてもよいかもしれない。
かくれぬ【隠沼】〔名〕(「こもりぬ(隠沼)」の誤読による語か)草などにおおわれて上からは見えない、隠れた沼。隠れの沼。こもりぬ。*古今和歌集〔905~914〕雑体・一〇三六「かくれぬの下より生ふるねぬなはの寝ぬ名は立てじくるないとひそ〈壬生忠岑〉」*和泉式部集〔11C中〕上「かくれぬもかひなかりけり春こまのあされはこものねたに残らす」*伊勢集〔11C後〕「かくれぬの底の下くさみ隠れて知られぬ恋は苦しかりけり」
また、上の場合では、最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』に「カクレヌ」が使われている。だからということではないだろうが、「誤読による語か」という説明になっており、少々弱気にみえる。「誤読」という断定形と「誤読による語か」という疑問形との違いはあるのだろうか。このあたりも知りたいところだ。
きじゃく【脆弱】〔名〕(形動)(「ぜいじゃく(脆弱)」の誤読)もろくて弱いこと。また、そのさま。
そして上の場合は使用例があげられていない。何の根拠もなく「誤読」によってうまれたと思われる見出しをあげることは考えられないので、使用例は確認できているはずだ。それなら、それをあげてほしい。「誤読」だけにそれが必要に思うが、「欲張り」な要求だろうか。
「誤読」は〈誤って読むこと〉であるが、それには漢字で書くということが前提になっていることには留意しておきたい。『古今和歌集』の「カクレヌ」は(あげられているかたちもそうであるが)仮名で書かれていると思われる。そうなると、「隠沼」のように漢字で書かれた語がまずあって、それを「カクレヌ」という語を書いたものだと誤解した、という「道筋」になる。「誤読」がうまれるには、うまれるための「前提」がある。