『日本国語大辞典』をよむ

第83回 アスフハルト

筆者:
2021年6月27日

『『日本国語大辞典』をよむ』(2018年、三省堂)に「『日本国語大辞典』にない見出し」を附録した。『日本国語大辞典』において見出しになっていない、ということを批判するということではまったくなく、たまたま見つけた語をあげたというようなことだ。その中には、見出しはあるが、使用例が示されていないもの、見出しもあり、使用例も示されているが、筆者がたまたま見つけた使用例が「古い」ものも含まれている。

さて、4番目に「アスフハルト」をあげた。これは山口茂吉『赤土』(1941年、墨水書房)を読んでいて遭遇した語形である。「アスフハルト溶けし鋪道に敷き均すこまかき砂利は黒く沈みぬ」という短歌における使用だ。「アスファルト」なら5拍、「アスフハルト」の仮名1字を1拍で発音するとなれば6拍になる。そのことを考え併せると、「アスフハルト」はそう書いてあるが、発音は「アスファルト」にちかくて、5拍の語を書いたものである可能性も考えておく必要があるかもしれない。これは短歌での使用であるために、そのようなことまで考えに入れることができる。しかし、一般的な文章中での使用であれば、「アスフハルト」は「アスフハルト」と6拍に発音する語を書いたもの、とまずは考えるしかない。

今回は「外来語のさまざまな語形」を話題にしたい。「語形」は音で示すこともできるし、文字で示すこともできる。文字で示す場合は、それが音としてはどのような「語形」を書いたものかということを考える必要がある。仮名は表音的な文字であるので、多くの場合、「このような語を書いたものだろう」という「想定」と実際の発音とは(ほぼ)一致するはずだ。特に日本固有の語=和語の場合は一致するはずだ。しかし、日本語ではない語、すなわち外国語を書いている場合は、そうともいえない。外国語の場合、日本語にはない音素を使っていることがある。仮名は日本語を書くための文字として発生しているので、日本語を書くためには「使い勝手」がよい。しかし外国語となるとそうはいかない場合がある。上では、「asphalt」の「phalt」のあたりを仮名でどう書くかということになる。

1991(平成3)年6月28日付けの内閣告示第2号で、「外来語の表記」が示された。(編集部注)https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gairai/index.html「前書き」には「一般の社会生活において,現代の国語を書き表すための「外来語の表記」のよりどころを示すものである」とまず記されている。この時の内閣総理大臣は海部俊樹だ。その「本文」にはまず「「外来語の表記」に用いる仮名と符号の表」の「第1表」と「第2表」とが示されている。そして「第1表に示す仮名は,外来語や外国の地名・人名を書き表すのに一般的に用いる仮名とする」とあり、「第2表に示す仮名は,外来語や外国の地名・人名を原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名とする」とある。後者の「原つづり」はどのようなことを想定しているのだろうか。外来語は基本的には日本語以外の言語であろうから、その「原つづり」はラテン文字(いわゆるアルファベット)ばかりとは限らない。キリル文字とか、アラブ文字とかで書かれた語の「原つづり」にちかく仮名で書くということはどういうことなのか、不分明に思われるが、それはそれとする。

さて、その「第1表」に「ファ」が入っている。平成3年はすでに30年も前のことになっており、現在出版されている国語辞書では「アスファルト」と書かれている。小型の国語辞書であれば、現在の日本語についての「情報」を集積することにまずは力を注ぐのが「筋」であろう。そういう辞書は「アスファルト」という見出しがあれば十分だ。しかし、何ほどかにしても、日本語の史的展開に関わる「情報」も示そうとするのであれば、過去において、当該外来語がどのように仮名で書かれていたか、という「情報」を示すことには一定の意義があると筆者は考える。

さてそれで、「asphalt」であるが、『日本国語大辞典』は「アスファルト」を見出しとして、見出しに続けて({英}asphalt)を示し、さらにそれに続けて「アスハルト」と「アスパルト」とを二重丸括弧に入れて示している。『日本国語大辞典』「凡例」の「見出しについて」の「二 見出しの文字」の3には「外来語については、「外来語の表記」(平成三年六月内閣告示)に準ずる。本見出しに統合した見出しと異なるかたちは、見出しの下の⦅ ⦆内に示す。また、必要に応じて別に見出しを立てて参照させる」と記されている。

見出し「アルファルト」には次のようにある。

アスファルト〔名〕({英}asphalt )《アスハルト・アスパルト》黒色の固体または半固体の瀝青物質。炭化水素を主成分として複雑な構造をもつ。天然のものと、石油精製時の蒸留残留物として得られる石油アスファルトとがある。粘着力、防水性、電気絶縁性にすぐれ、道路舗装、建築材料、電気絶縁などに用いられる。土瀝青。*写真鏡図説〔1867~68〕〈柳河春三訳〉二「アスハルト一名アールドペッキ又ビチュム・ド・シェデー 猶太国産の土脂といふ義 と云ふ」*東京日日新聞-明治二一年〔1888〕二月二一日「日本橋南畔へ耐寒のアスハルト道路を試験の為め布設せしが」*社会百面相〔1902〕〈内田魯庵〉矮人巨人・一「幅一間の一等道路はアスパルトで敷詰め」*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉八「雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った」

使用例をみると、「アスハルト」「アスパルト」があり、現在目にする「アスファルト」は芥川龍之介の『或阿呆の一生』(1927)において使われていることがわかる。西暦1927年は昭和2年であるので、この頃が「アスファルト」がひろく使われだした頃なのであろうか。これだけいろいろな語形が使われていることが確認できると、「アスフハルト」も珍しい語形として記録しておく意味合いがでるかもしれない。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。