「インタラクティブ」は最近よく目にしたり、耳にしたりする語だ。『日本国語大辞典』は見出しにしていないかなと思って調べて見ると、ありました。参考までに『広辞苑』第七版、『大辞林』第四版の項目も並べてみる。
インタラクティブ〔名〕({英}interactive)双方向に情報のやりとりができるシステムのこと。インターネット、ゲームソフト、CD-ROMなど。
インタラクティブ【interactive】相互に作用すること。情報通信で相互に受信と送信とが可能なこと。双方向的。(『広辞苑』第七版)
インタラクティブ 4⃣ 〖interactive〗(形動)①相互に作用するさま。②情報の送り手と受け手が相互に情報をやりとりできる状態。現在のコンピューターによる情報処理の形式。対話型。(『大辞林』第四版)
上の語釈はいずれも「情報」(通信)にかかわることに限定されているように思われるが、現在では大学教育などについても「インタラクティブ・ラーニング」というような表現で使われるようになっている。つまり、すでに「情報」(通信)に限定されずに、少し広い意味合いで「インタラクティブ」という外来語が使われるようになっている。
今回話題にしたいのは、そういう語義がまだ記述されてない、ということではない。
筆者は、辞書のような「ありかた」をしている文献を「辞書体資料」と呼ぶ。「辞書のような「ありかた」」はわかりにくいだろうが、辞書のように使い手が使うことができるということだ。特定できるかどうかは別として、誰かが編集してできている文献といってもよい。その「辞書体資料」を一方においた時に、そうではない文献を「非辞書体資料」と呼んできた。ネーミングがかっこわるいことは承知しているが、なかなかいい名称がないので、ここでも「辞書体資料/非辞書体資料」を使うことにしたい。
あえんか【亜鉛華】〔名〕酸化亜鉛の工業薬品、医薬品、顔料としての別称。亜鉛白。*薬品名彙〔1873〕〈伊藤謙〉「Flowers of zinc 亜鉛花」
あえんかなんこう【亜鉛華軟膏】〔名〕皮膚や粘膜の保護剤、乾燥剤、収斂(しゅうれん)剤の一つ。白色の軟膏で、湿疹その他の皮膚病に用いる。*薬品名彙〔1873〕〈伊藤謙〉「Unguentum zinci oxidi 亜鉛花軟膏」*プレオー8の夜明け〔1970〕〈古山高麗雄〉「顔は、亜鉛化軟膏を下塗りに、歯みがき粉を真っ白にはたき」
あえんどい【亜鉛樋】〔名〕トタン板でこしらえた樋。*多情多恨〔1896〕〈尾崎紅葉〉後・九・一「頭の上の谷川の流と亜鉛樋の貧しい独語(つぶやき)は絶間無く響いて」
あえんばん【亜鉛版】〔名〕版材が亜鉛でつくられた印刷版。一般にはオフセット(平版)用のものをさす。ジンク版。*気海観瀾広義〔1851~58〕一一・瓦爾発尼斯繆斯「一片の銀銭と同大なる亜鉛版を取り」*電気訳語集〔1893〕〈伊藤潔〉「Zinc Plate 亜鉛板」
上にあげた見出しを使って、さらに説明すれば、「薬品名彙〔1873〕」や「電気訳語集〔1893〕」は辞書体資料だ。一方、尾崎紅葉の「多情多恨〔1896〕」、古山高麗雄(1920~2002)の「プレオー8の夜明け」は1970年に芥川賞を受賞しており、こちらは非辞書体資料ということになる。「気海観瀾広義〔1851~58〕」も非辞書体資料だ。
そうすると、見出し「あえんかなんこう」「あえんばん」には辞書体資料と非辞書体資料との使用例があげられていて、「あえんどい」には非辞書体資料の使用例のみ、「あえんか」には辞書体資料の使用例のみがあげられていることになる。
『薬品名彙』は1874(明治7)年に出版されているが、その「題言」末尾には「明治六年癸酉十月」とあるので、「1873」はそれに対応したものと思われる。「題言」には「薬名ヲ検査スルニ方テ方今尚ホ其書ニ乏シク隔靴ノ憾ミ無キヿ能ハズ」とあり、「薬名」(薬学関連の学術用語)を調べるための書物であることがわかる。書名は『A MEDICINAL VOCABULARY IN LATIN,ENGLISH AND JAPANESE WITH APPENDIXES』であるが、『日本国語大辞典』が示している使用例からわかるように、すべての見出しがラテン語で示され、それに英語、日本語を配しているのではなく、植物などの場合にラテン語で見出しが示されることがある、ということだ。広義の「薬品」となるものの英語あるいはラテン語における「呼び名」を見出しとして、それに日本語を配置している。その日本語は、『薬品名彙』を必要とする「社会」では使われたことだろう。また『薬品名彙』にたしかにその日本語が載せられているという点において、その日本語が存在したことはたしかなことである。しかし、「ひろく使われたか」「日常生活においても使われたか」という問いをたてれば、必ずしもそうではなかった可能性がたかいような語もあるだろう。これはごく常識的、一般的な想像であるが、現在においてもそういう語はあるはずだ。医学にかかわる人々は使う、しかし一般の人は聞いたこともなければ、使ったこともない、という語はあるだろう。「学術用語」とはそういうものだ。
1891(明治24)年に完結した辞書『言海』は「日本普通語ノ辞書」として編纂されていることを謳っている。そして「固有名称」「高尚ナル学術専門ノ語」を見出しとしていないことを謳う。
『言海』以来(といってしまっていいかどうか、そこはまた慎重に検証する必要があるが)、国語辞書は「学術専門ノ語」を積極的に見出しにはしてこなかったといってよいだろう。現在出版されている小型の国語辞書は、といえば、むしろ積極的にそうした語を採り入れていることが少なくない。国語辞書がどのような語を見出しとするか、という大きな枠組みも変化してきているようにみえる。さて、『日本国語大辞典』は、ほどほどに「学術専門ノ語」を見出しとしている。『広辞苑』は、『日本国語大辞典』よりも少し積極的にそうした語を見出しとしているようにみえる。
『日本国語大辞典』は『薬品名彙』が見出しにしている語すべてを見出しにしているわけではない。そこには何らかの「判断」があるだろう。筆者は、非辞書体資料でも使われている語は、「ひろく使われたか」「日常生活においても使われたか」という問いに対して「使われた」と答えられるのではないかと思う。「辞書体資料」にも「非辞書体資料」にも「足跡」を残している。これは、語の使用における「インタラクティブ」ではないだろうか。