前田夕暮(1833~1951)は明治から昭和にかけて活動した歌人で、昭和初期には口語自由律短歌を牽引したことでも知られている。小学校、中学校の教科書に載せられていることがある「向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ」はよく知られている作品だろう。
今回はその前田夕暮の『黒曜集』(1915年、植竹書院)を読んでいて気がついたことに触れる。たとえば次のような作品が収められていた。
渚べに埋れて長く魚のごとよこふしにける白き流木
渚近くしらけて砂に横伏せる流木のうへに腰かけにけり(144頁)
2首は同じ時につくられたのであろう。1首目では「よこふしにける白き流木」と表現し、2首目では「しらけて砂に横伏せる流木」と表現している。海岸に打ち上げられている流木は、海で揉まれて樹皮がなくなり、真っ白になっている。かなり大きな流木が打ち上げられていることもあり、それを「よこふしにける」「横伏せる」と表現しているのだろう。
前田夕暮の脳内には「ヨコフス」という動詞が存在しているとみるのが自然であろうが、『日本国語大辞典』は「ヨコフス」を見出しにしていない。また使用例にも「ヨコフシ」「ヨコフセル」はみられないことがオンライン版の検索によって確認できる。『日本国語大辞典』には「よこおりふす」という見出しがある。
よこおりふす【横伏】〔自サ四〕横に広がって伏す。横たわる。*古今和歌集〔905~914〕東歌・一〇九七「かひがねをさやにも見しかけけれなくよこほりふせるさやのなか山〈かひうた〉」*俳諧・本朝文選〔1706〕五・序類・銀河序〈芭蕉〉「佐渡がしまは海の面十八里、滄波を隔て、東西三十五里によこおりふしたり」*浄瑠璃・釈迦如来誕生会〔1714〕一「よこ折ふせる松が根に」
『古今和歌集』では「さやのなか山」が、『俳諧・本朝文選』では「佐渡がしま」が、「ヨコオリフス」と表現されているので、かなり質量のあるものについての表現であるように思われる。一方、『浄瑠璃・釈迦如来誕生会』は「松が根」についての表
うす赤き暮靄のなかに黒々と暮れて行くなり彼の連山は(154頁)
我が部屋にながれいるなる山霧のなかに黄いろく灯をともす妻(155頁)
「暮靄」には振仮名が施されていない。一瞬「クレモヤ」かと思ったが、「クレモヤのなかに」では8拍になる。そこで『日本国語大辞典』を調べてみると、見出し「ボアイ(暮靄)」があり、「暮れ方にたちこめるもや。ゆうもや。晩靄」と説明されている。この「ボアイ」とみれば、定型に収まる。「山霧」はどうだろうか。『日本国語大辞典』には「サンム」「ヤマギリ」ともに見出しとなっている。
さんむ【山霧】〔名〕山中にかかる霧。*経国集〔827〕一〇・聞右軍曹貞忠入道因簡大将軍良公〈淳和天皇〉「山霧始開㆓無明気㆒、渓泉欲㆑洗㆓夢心聾㆒」
やまぎり【山霧】〔名〕山にたつ霧。山一面にたちこめる霧。《季・秋》*万葉集〔8C後〕九・一七〇四「ふさ手折り多武の山霧(やまぎり)しげみかも細川の瀬に波の騒ける〈人麻呂歌集〉」*俳諧・七番日記-文化一〇年〔1813〕八月「山霧のさっさと抜る座敷哉」
「サンム」の使用例としては、漢詩集である『経国集』の使用例のみが掲げられている。「ヤマギリ」であれば、定型に収まることを考え併せると、ここでは「ヤマギリ」を書いたものとみるのが穏当であろう。定型に収まることだけではなく、それぞれの語の使用の「歴史」を概観できれば、推測はよりたしかなものになる。そういう時にも『日本国語大辞典』は参考になる。
沈黙ぞわれをいたはりなぐさむる今日も草場に来て見入る空
わが行くはひろき草場のはつ冬のうす日だまりぞ物思ふによし(159頁)
黄に枯れしひろき草場のそのなかにわれ空をみて今日も坐ざせりき(160頁)
『日本国語大辞典』の見出し「くさば」には次のようにある。
くさば【草場】〔名〕飼料や肥料として刈り取るための草の生えている場所。また、江戸時代の入会地である草山をもいう。*邪宗門〔1909〕〈北原白秋〉朱の伴奏・狂人の音楽「草場には青き飛沫(しぶき)の茴香酒(アブサント)冷えたちわたる」*桑の実〔1913〕〈鈴木三重吉〉一九「浩吉さんは、一人でこっそり裏の草場へ出て」*夜明け前〔1932~35〕〈島崎藤村〉第一部・下・一二・三「近隣村々へ年年運上金差し出し、草場借り受け」
「江戸時代の入会地である草山をもいう」と説明されていることからすれば、江戸時代にも使われていた語であることになるが、使用例は明治時代の、しかも明治42年の『邪宗門』からあげられている。前掲した前田夕暮の作品3首は1913(大正2)年に作られている。前田夕暮が大正12年に東海道線の車中で偶然北原白秋と出会い、そのまま三崎へ行って、城ヶ島で遊んだということが知られている。大正13年には白秋とともに雑誌『日光』を刊行しており、白秋の没後に『白秋追憶』(1948年、健文社)を刊行してもいる。そんなことからすれば、白秋の「草場」と前田夕暮の「草場」とはどこかでつながっているのかもしれない、などと妄想に耽るのもまた一興。