『日本国語大辞典』をよむ

第86回 中国の雁の鳴き声

筆者:
2021年9月26日

「中国の雁の鳴き声」というタイトルをみて、「いや、雁は中国でも日本でも同じ声で鳴いているでしょ」と思った方がいらっしゃると思います。冷静冷静、そのとおりです。正確には、中国語では雁の鳴き声をどのように表現するか、ということです。『日本国語大辞典』には「あくあく」という見出しが2つ並んでいます。 

あくあく【喔喔】〔形動タリ〕鳥の鳴く声のさま。唖唖(ああ)。*東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉二・浄瑠璃温習「寺鐘已に四時を伝ひ、隣雞腷膊(〈注〉はばたき)喔々又喔々衆驚ひて而して散じ去る」*佳人之奇遇〔1885~97〕〈東海散士〉四「壁に葺々の葛を掛けて、屋に喔喔の烏を見る」*白居易-新秋暁興詩「喔喔鶏下樹、輝輝日上梁」

あくあく【唖唖】〔形動タリ〕(1)笑う声のさま。*土井本周易抄〔1477〕五「後にはよい吏がある程に、咲言唖唖たるぞ。よい吏があれば、咲いどどめくぞ」*易経-震卦「笑言唖唖」(2)雁などの鳴く声のさま。*焦氏易林-巻七「鳧雁唖唖、以水為宅」

そして「唖」は「ア」と(も)発音するので、「ああ」という見出しもあります。

ああ【唖唖】〔副〕(1)烏(からす)の鳴く声。*五山堂詩話〔1807~16〕一「暁窓夢回忽聴唖唖」*江戸繁昌記〔1832~36〕二・混堂「暁天猶昏し。早く鴉声(あせい)に和して、戸を連打し去る。喇々喇々、唖々(〈注〉カアカア)唖々」*自然と人生〔1900〕〈徳富蘆花〉湘南雑筆・暮秋「烏五六羽あり〈略〉、唖唖(アア)の声満山に響く」*李白-烏衣啼「黄雲城辺烏欲棲、帰飛唖唖枝上啼」(2)小児がかたことでしゃべる声。*再北遊詩草〔1825〕夢内「二女子自傍援袖掣衣、笑言唖唖、若余心然、余亦愀然涙下」(略)

上に掲げられている『江戸繁昌記』においては、「唖々」に「カアカア」と注が附されています。李白の作品において「唖唖」が使われており、中国において、カラスの鳴き声を「唖々(アア)」ととらえることは確実にあったことがわかります。『江戸繁昌記』はいわばその「伝統」をふまえているといえるでしょう。

鳥の鳴き声は、鳥の種類によって違っているととらえると「個性的」ということになります。しかし、鳥に詳しくない人は、みんな同じような鳴き声に聞こえてしまうかもしれません。そうなると、見出し「あくあく」にあるように「鳥の鳴く声のさま」をひとまとまりにしてとらえるということになります。

「あくあく(唖唖)」の語義(2)には「雁などの鳴く声のさま」とあり、見出し「ああ(唖唖)」の語義(1)には「烏(からす)の鳴く声」とあるので、ますますわかりにくくなってきますが、『日本国語大辞典』の見出し「かり」を見てみましょう。

かり【雁・鴈】〔名〕(1)(その鳴き声からの称という)「がん(雁)【一】」に同じ。《季・秋》*古事記〔712〕下・歌謡「たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の長人 そらみつ 大和の国に 可理(カリ)卵(こ)産(む)と聞くや」*万葉集〔8C後〕一五・三六七六「天飛ぶや可里(カリ)を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ〈遣新羅使人〉」*古今和歌集〔905~914〕恋二・五八五「人を思ふ心はかりにあらねども雲居にのみもなきわたるかな〈清原深養父〉」*十巻本和名類聚抄〔934頃〕七「鴻鴈 毛詩鴻鴈篇注云大曰鴻小曰鴈〈洪岸二音 加利〉」*伊勢物語〔10C前〕六八「鴈なきて菊の花さく秋はあれど春の海辺にすみよしの浜」(略)

なんと、「カリ」という和語は、雁の鳴き声からできた、という説があるわけです。「という」は、そういう説があるということですね。その説を受け入れるならば、日本語の雁は「カリカリ」と鳴き、中国の雁は「アクアク(唖唖)」と鳴くということになります。全然鳴き声が違っていますね。

鳥や動物、虫などの鳴き声は、同じ種類であれば、地域が異なっても似た鳴き声のはずです。ただし、体の大きさとか、やはり種類によって鳴き声そのものが異なるということはあるでしょう。同じような鳴き声であるならば、言語が違うと使っている音の種類が違う。だから、聞きかた、というよりも言語化のしかたが異なってくる、ということです。

『日本国語大辞典』の見出し「いぬ【犬・狗】」の語義【一】(1)には「形態は品種によって非常に異なり、小はチワワから、大はマスチフ、セントバーナードまで、全世界に約一六〇品種ある。日本産では秋田犬、甲斐(かい)犬、紀州犬、柴犬、土佐犬、チン、アイヌ犬などが知られる。日本語においては、「ワンワン」というふうに鳴き声が写される」と記されています。この「鳴き声が写される」が「言語化のしかた」です。

『日本国語大辞典』の見出し「あくあく(喔喔)」には「鳴く声のさま」とあって、見出し「ああ(唖唖)」には「烏の鳴く声」とあります。「さま」は様態で、「声」となれば、声そのもの、と理解したくなりますが、その理解でいいのでしょうか。ちょっと質問してみたくなりますね。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。