前回の真理の探究とその応用の話は、次のようにまとめられます。
凡そ何事にもあれ學上にて眞理を求め、而して術に使ひこなすを求むるを要す。然るときは其學たる終に to avail 或 to profit 即ち利用となり、或は to apply 即ち適用となるなり。或は to verify 即ち其眞たるを顯すとの意にして、學上にて得る所の眞理を術上にて現に顯はすに至るなり。
(「百學連環」第42段落第32文~第34文)
上記のうち、avail と profit の左に、それぞれ「利用」と添えられています。訳してみましょう。
およそどんな事についてであれ、学問の上で真理を求め、それからその真理を術として使うものである。このような場合、その学は、利用(avail, profit)、適用(apply)されたということになるわけである。あるいは確証(verify)される、つまり、真であることが明らかになる。学問の上で得た真理を、術の上で実際に確かめられるという次第である。
学問において発見された真理を術として応用するというふうに、「学から術へ」という順序が述べられています。また、それを「利用」「適用」と呼ぶのだとも言われていますね。apply は、現在では「応用」と訳されることも多いと思います。例えば、「応用科学(applied science)」という具合です。
また、術として応用されることによって、その真理が実際に確かめられもするのだという指摘は、ここまでに述べられてきた「実証主義」の文脈を踏まえているのでしょう。
さて、テキストでは改行を挟んで講義は次のように続きます。
前にも言へる如く、學は上面の工夫、術は下面の工夫たるは勿論なりといへとも、又學にも才不才あり、術にも才不才ありて、其學術に供するに faculty あり、aptitude あり、capacity あり、talent あり、gift あり、endowments あり、genius あり、ability あり。
(「百學連環」第43段落第1文)
ここは少し版面が込み入っています。まず、faculty の左右に「性」「勢」と振ってあるのを筆頭に、各英語の言葉の左側に、次のような訳語が添えられています。
aptitude 適質 capacity 受質 talent 才力 gift 天賦 endowments 天稟 genius 技倆 ability 能
また、genius の右側には「技倆とは俗に云ふきようと云ふ辭義なり」と見えます。では、訳してみます。
以前も述べたように、学は上の方へ向かう工夫であり、術は下の方へ向かう工夫であるというのはもちろんのこと、学に才能の有無が、術にも才能の有無というものがある。学術のいずれについても、「力(faculty)」「適性(aptitude)」「力量(capacity)」「才能(talent)」「天賦(gift)」「天性(endowments)」「天分(genius)」「手腕(ability)」があるのだ。
ご覧のように、今度は学術に携わる人間の側の性質が論じられています。「学は上の方へ向かう」という話は、第44回「真理への二つの関わり方」で検討した箇所で述べられていたことです。いま、現代語訳を改めて覗いておくと、こういう文言でした。
「学」とは上の方へと綿密に調べ尽くすことである。「術」とは、それとは反対に、下の方へと綿密に調べ尽くすことである。
(「百學連環」第7段落第1~2文)
このことに触れた上で、西先生は、学術の両方について、才能の有無ということがあると述べています。そこで、つぎつぎと八つの類義語を並べて畳みかけていますね。
これらの言葉は、辞書でも重なり合う訳語が載っており、違いを適切に訳し分けるのは至難です。現代語訳のほうでは、西先生の訳語を参考にしながら、場合によっては別の言葉で訳してみました。
いずれにしても、これらの言葉は、学術を遂行する人の能力に関わるものです。これは当たり前過ぎて、日ごろあまり意識にのぼらないことかもしれませんが、どういうわけか、人にはそれぞれ得手不得手があります。例えば、語学にすばらしい力を発揮する人もあれば、数学で余人には想像もつかないところまで自在に進んでゆける人もあります。別の言い方をすれば、学術と人には相性があるとも言えるでしょう。この話がもう少し続きます。