ジョン・ロックの例に続いて、今度は東の例が引き合いに出されます。
楊〔雄〕か法言に多聞見而識乎正道者至識也といへり。識は學の積重り知の大なるものなりといへとも、徒らに多く知るも識にあらす。其條理立ちて所謂眞理を識るを云ふなり。識を助くるものは學にして、才を助くるものは術なり。
(「百學連環」第47段落第1文~第4文)
訳してみます。
楊雄は『法言』で、「たくさんのことを見聞して、正しい道理に基づいて〔物事を〕識る人は、識を究めている」と言っている。「識」とは、「学」が積み重なって、「知」が大きくなったものである。とはいえ、いたずらにたくさんのことを知っていたとしても、それは「識」ではない。条理が通っていて、真理を知っていることを「識」というのだ。「識」を助けるのが「学」であり、「才」を助けるのが「術」である。
楊雄(紀元前53-18年、揚雄とも)は、前漢の文人。西先生は、その『法言』という著作から引用しています。このくだりは、「多聞見而識乎邪道者迷識也」と続くようです。つまり、「たくさんのことを見聞しても、過った道理に基づいて識る人は、識について混乱している」というわけです。
「識」と「学」の関係については、第116回でも「識は、知ることの多く重りたるを學とし、學に長するを識とす」と説かれていました。いずれにしても、単にものをたくさん知っているだけでは「識」とは言わないというわけです。そこに真理という筋が通ってこそ、「識」という次第。ここでも真理の重要性が重ねて指摘されています。
なおも話はこのように続きます。
古來歴史を記するにも才學識の三ツあるにあらされは書くこと能はすといへり。才と識とは己レにありて、學は他より求め來るものなり。譬へは faculty は圖の如き器物なり。aptitude 及ひ capacity は此の器に水にても酒にても入るへきなり。ability は器の大小あるものにして、acute 其は漆にて塗りしものか、硝子か、木地か、性質の模樣を分別す。skill 及ひ sagacity は器の形の圓か、方か、正か、不正か、を分別し論するなり。才と識と兩なから離るへからさるものなれと、識に長するあり、或は才に長する者ありて、自から甲乙あるものなり。是を比較するときは、識を上とし、才を下とする故に、國を治め天下を治むるにも、識者上にありて才子下にあるときは其順序を得たりとす。
(「百學連環」第47段落第5文~第12文)
この文中「才學識」の「才」と「識」は、その右側に「○」が振って強調されています。訳してみましょう。
昔から、歴史を記すのであれば、才と学と識の三つがなければ書けないと言われている。このうち「才」と「識」は自分にあるもので、「学」は他から求めるものだ。例えば、faculty(力/性)とは、この図に示した器のようなものである。aptitude(適性/適質)と capacity(力量/受質)は、この器に水でも酒でも入れられるということ。ability(手腕/能)は、器に大小があること、acute(敏い/敏)は、その器が漆塗りか、ガラスか、木地かという具合にその器の模様を区別することだ。skill(才)と sagacity(識)は、器の形が円か四角か、整っているか歪んでいるかを区別して論じるものである。この才と識の二つは離れてあるものではない。とはいえ、識に長ずる者もあれば、才に長ずる者もいるという具合に、自ずと得手不得手がある。両者を比較する場合、「識」を上として、「才」を下とする。だから、国を治めたり天下を治める場合でも、識者が上にあり、才子が下にあるなら、それはまっとうな順序だということになる。
ここで歴史を書くために必要とされている「才学識」というのは、「三長」とも言われるもので、歴史家に必要な三つの長所のこと。唐代の歴史家、劉知幾(661-721)の言葉として伝えられています。西先生もその顰みに倣っているのでありましょう。
面白いことに、ここまでに登場した学術にまつわる人間の能力にまつわる言葉が、コップのような器に譬えて説明されています。それぞれの英単語の後ろには、「(現代語訳/西先生による訳語)」という順で補足してみました。
整理してみると、器、器の性能、器の大きさ、器の外見、器の形という要素が列挙されています。acute を器の外見とするところは、ちょっと真意を分かりかねました。他方で、器とは何かを入れられるものであり、その容量には大小があり、器自体に形の違いがあるという譬えは、分かるような気がします。これまで、抽象的な概念を具体的に譬えて噛み砕く西先生の講義スタイルをいろいろ見てきましたが、これはまた直感に訴える表現ですね。
その上で、識と才には上下の違いがあると指摘されています。なぜ識と才では、識のほうが上なのでしょうか。そのヒントは先に読んだ「識を助くるものは學にして、才を助くるものは術なり」という一文にあります。そこでは、
識――学
才――術
という対応関係が確認されていたわけです。ところで、西先生は、これまでにも何度か「学」と「術」の関係を「学が上」「術が下」というふうに位置づけています。このことから、学に対応する「識」が上に、術に対応する「才」が下に置かれることも、一応説明がつくでしょう。
なぜ「学が上」「術が下」だったかといえば、学とは真理を求める営みであり、術とはそれを応用する営みであるという見立てがあるためです。何かに用立てること(術・才)に先立って、何かを知ること(学・識)が必要であるということから学と識が上に置かれていたのでした。
このことを踏まえれば、おしまいの文は、国や天下を治めるという場面でも、真理を掴んだ上で、それを活用してゆくという順序が大切だと読むことができましょうか。
以上で、学術に関わる人間側の話が終わって、次の話題に転じてゆきます。
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者=者(U+FA5B)
歴=歷(U+6B77)