「百学連環」を読む

第21回 知識の樹木/知識の連環

筆者:
2011年8月26日

西先生は、百科事典としての「エンサイクロペディア」を紹介した後に、その用法を説明します。こんな具合です。

則此書に就て知らんと欲するところの學科を引出して穿鑿するの具に供す。元來此のEncyclopediaなる書は、百般の學科を擧て記載せるものにて、一々之を枚擧するに暇あらす。故に唯タ學術に相關渉して要用とするところのミを擧け、且つ和漢のことを斟酌して説諭する所なり。

(「百學連環」第1段落第7~9文)

 

現代語訳はこうなるでしょうか。

学者は、この書物に当たって知りたいと思う学科を引き、綿密に調べ進めるための手立てとする。もともとこの「エンサイクロペディア」という書物は、それこそあらゆる学科を記載してあるものなので、〔この講義では〕一つ一つ枚挙してゆくわけにはいかない。そこで、学術に関連する肝心なところだけを挙げて、〔同書はもっぱら欧米に関する書物なので〕和学や漢学のことも照らし合わせて解説することにしよう。

どうやら「百学連環」講義自体は、書物としての「エンサイクロペディア」を下敷きにしているようです。とはいえ、ここで現在私たちが知っている「百科事典」を念頭に置くと、少し変な気がするかもしれません。というのも、私たちが使っている「百科事典」は、学術に限らず事物全般についての知識を集積したものだからです(もちろん、その知識は諸学術によって探究されてきた成果なのですが)。

しかし、当時の「エンサイクロペディア」は、西先生が解説しているように、諸学術を総覧するという構えのものが多々ありました。実際、タイトルに『Cyclopaedia, or General Dictionary of Arts and Sciences』などというように、「諸術(Arts)」と「諸学(Sciences)」という文字が入っているのをよく見かけます。アートとサイエンスがそれぞれ複数形であることにも注意しておきましょう。さまざまな術、さまざまな学についての「エンサイクロペディア」というわけです。ついでながら英語ではしばしば語頭の「En」が略されて「サイクロペディア(Cyclopedia)」と書かれることがあります。

さて、イメージを膨らませるために、もう一つ補助線を引いておきましょう。『オックスフォード英語辞典(OED)』でencyclopaedi, encyclopediaを引くと、大きく四つの項目が出ています。試訳を添えて引用してみます。

1. The circle of learning; a general course of instruction.
  学問の体系〔円環〕。教育の一般科目〔講座〕。

2. A literary work containing extensive information on all branches of knowledge, usually arranged in alphabetical order.
  知識のあらゆる部門〔枝〕に関する広範な情報を含む著述作品で、たいていはアルファベット順に配置されているもの。

また、ここでは省略しますが、この二番目の分類の下位項目(2b)として、とりわけディドロとダランベールの『百科全書』を指すという用例が紹介されています。

3. An elaborate and exhaustive repertory of information on all the branches of some particular art or department of knowledge; esp. one arranged in alphabetical order.
  特定の技芸や知識分野のあらゆる部門〔枝〕に関する精密で網羅的な情報の蒐集。とりわけアルファベット順に配置されたもの。

1番の定義は、まさに前回まで見てきた講義としての「エンサイクロペディア/エンチクロペディー」に通じるものですね。2番と3番は一見するとよく似ていますが、やはり違うものを指しています。つまり、2番は「知識の全部門」に関するいわゆる「総合百科事典」を指しているのに対して、3番は特定分野の「専門百科事典」のことを言っているわけです。

というのも、上では引用しませんでしたが、3番に併記された歴史的用例を見ると、『機知の百科事典(The Encyclopaedia of Wit)』(1801)とか『歌の百科事典(The Vocal Encyclopaedia)』(1807)などなど、大変気になる書物のタイトルが並べられているのです。これらは「全学術」ではなく、特定分野についての百科事典です。この伝で行くと、筆者が子どもの頃夢中になって読んだ『ウルトラマン大百科』(勁文社)なども、この類に入りそうです。

それはともかく、ここでもう一つ注目しておきたいのは、「部門〔枝〕」と訳したbranchesという言葉です。これはフランス語、ラテン語、ギリシア語に語源を持つ語ですが、いまそのことは措くとして、「知識の部門〔枝〕」というように、知識のつながりが樹木に生い茂る枝葉としてイメージされているのを見逃さないようにしましょう。

人が知識をどのように可視化、図像化するか、してきたかということは、大変興味ある問題です。ヨーロッパでは、古くから知識の全体を樹木として捉える発想が見られます。もっと言えば、(学術)知識だけではありません。系統樹という形で、家系や生物や言語といったさまざまな対象の関係が描かれてきました。

近年、進化生物学や生物統計学の研究者でもある三中信宏先生が、『系統樹思考の世界』(講談社現代新書、2006)をはじめとする一連の著作や、目下ウェブ連載が進行中の「系統樹ウェブ曼荼羅」(NTT出版)などで、系統樹の歴史や広がりについて探究・紹介しておられます。

実に魅力的な世界なのですが、ここでは深入りしたい誘惑を退けて最小限のことを申せば、知識全体を樹木として捉えるということの意味を考えておく必要があります。つまり、知識はそれぞれがバラバラにあるのではなく、根や幹があって枝葉を伸ばす一本の樹木という形で、相互につながりあっているということが含意されているのです。このことが、branchという言葉に引き継がれています。

これに対して西先生の「百学連環」という円環的なイメージとこうした系統樹的なイメージとは、どのように関わり合うのでしょうか。そんな問いを念頭に置きながら、先に進むことにしましょう。

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=者(U+FA5B)

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筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。