「百学連環」を読む

第43回 医学・医術を具体例にして

筆者:
2012年2月3日

久しぶりに「百学連環」本文に戻ってきました。最後に読んだ講義の本文は、第37回をご覧ください。「学(Science)」と「術(Art)」は混同しやすいものだが、区別せねばならないということで、ラテン語交じりの引用文が現れたのでした。

続きを読んでゆきましょう。次の文はこうです。

學とは原語の通り、あるとあらゆるを分明に知り、其根元よりして、に何等の物たるを知るを云ふなり。

術とは生することを知ると原語の通り、何物にても成り立所のものゝ根元を知り、其成り立所以を明白に知るを云ふなり。

(「百學連環」第5段落、第6段落第1文)

 

訳します。

「学」とは〔今示した〕原語にあるように、あらゆる物事を明確に知り、その根源からそれがなんであるのかを知ることである。

「術」とは、生じることを知るという原語の通りで、あらゆる物事について成立するものの根源を知り、その成り立つわけを知ることである。

以上は、前段まで英語やラテン語交じりで述べたことを、西先生の言葉で言い直しているくだりです。要すれば、「学」とは対象がなんであるかを知ることであり、「術」とは対象がどのように出来ているかを知ることだというわけです。前回見たアリストテレスの区別とほとんどそっくり重なっていることが分かります。

主にここで読んでいる「甲本」では次に英文が現れますが、「乙本」を見ると、その英文の手前に具体例が挟まれています。学と術の区別について、西先生がどのように捉えていたのかを知るためのよき材料ですので、見ておきましょう。

學と術とを區別して一ツのものに譬へむには、彼處に一人の病人あり、軍中にて足ヲ銃丸にて打たれしと言ふ、故に今醫者を招きて療治するに、醫者の人體の筋骨皮肉五臓六腑の組立を知るは學なり、さて其銃丸に打たれし足を治セんに、元より筋骨の組立はよく知る所なれは、其の銃丸を如何して拔き取り得へき工夫をし得て、是を療治す是術なり、

(「百學連環」乙本より)

 

訳せばこうなるでしょうか。

「学」と「術」を区別する譬えを一つ述べよう。ここに一人の病人がいる。軍中、足を銃で撃たれたという。そこで医者を呼んで治療する。医者は人体の筋骨や皮肉、五臓六腑の仕組みを知っているが、これは「学」である。さて、その銃で撃たれた足を治すにあたっては、もとより筋骨の仕組みをよく知っているから、銃弾をどのように抜き取るかということを工夫して治療するわけだが、これを「術」というのである。

講義などで物事を抽象的に説明して終わると、聞いた側の理解や知識が上滑りしてしまうことがあります。そこで、このように具体例を提示すると、ようやく地に足がつくわけです。これはものを説明する際に留意すべき点の一つでありますが、アリストテレスなども、実に見事にこの方法を活用しています。

この例にこと寄せて言えば、人体の解剖学的知識や病理についての知識は「医学」であり、そうした知識に基づいて病を治療する行いが「医術」と言えるでしょう。ここで例に取られている医術は、江戸の蘭学の時代にも中心的な位置を占めた学術であり、西先生の家も父時義は津和野藩の藩医であったことも思い起こされます(ただし、西周は藩命によって還俗しています)。

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=卽(U+537d)

=旣(U+65e3)

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。