西先生が「百学連環」で講じた「学(Science)」と「術(Art)」の説明は、その根を辿ると遥か昔、古代ギリシアのアリストテレスによる見立てに至ることを見てきました。再び話を明治に戻してゆきましょう。
と言いながら、「百学連環」そのものに立ち戻る前に、もう一つだけ確認しておかなければならないことがあります。西先生が参照した『ウェブスター英語辞典』の版はどれかという問題です。出典も分かったことだし、「どれでもいいじゃないか」と言いたくなるかもしれませんが、そうは問屋が卸さないのです。二つばかり問題があります。
一つは、同じ『ウェブスター英語辞典』と題されていても、版を重ねるごとにテキストは変化するので、どの版から引用しているかということは見過ごせないという事情があります。
もう一つ、こちらのほうがいっそう大きな問題なのですが、ここまでの議論には、実は一つ重大な空白が残されているのです。ミステリの謎解き風にご自分でその空白を見抜きたいという方は、ここ数回を読み直してみてください。
すでにお気づきの方もいるかもしれませんが、ここ数回の検討で私たちが参照していた『ウェブスター英語辞典』は、1913年のものでした。でも、思い出しましょう。そもそも「百学連環」講義はいつ行われたものだったか。あるいは西先生の生没年を。
そうです。「百学連環」講義には、明治3年(1870-1871年)という日付がありました。また、西先生は1897年に没しています。つまり、1913年版を参照しているはずはありません。
ここ数回、西先生が引用した”In science, scimus ut sciamus, in art, scimus ut producamus.”という文章は、『ウェブスター英語辞典』の1913年版にあることを基に検討を重ねてきました。また、その際1828年版にはこの文章が見られないことも確認しました。つまり、このままでは辻褄が合いません。
では、西先生が参照しえた『ウェブスター英語辞典』は、どの版か。特定はしきれていませんが、手がかりがあります。以下、西暦の数字に気をつけながら進めて参りましょう。
面白いことに、1856年に刊行された『英語発音並びに定義辞典――ウェブスター・アメリカ辞典縮約版(A pronouncing and defining dictionary of the English language: abridged from Webster’s American dictionary, with numerous synonyms, carefully discriminated)』という辞書のSCIENCEの項目(p.405)には、1913年版とほとんど同じ文章が現れますが、上記したラテン語の部分は含まれていません。
しかし、1865年に刊行された『ウェブスター英語辞典(American Dictionary of the English Language)』では、カールスレイクから引用した文章が「SYN(シノニム)」として提示されています。
一方で、引用元となったカールスレイクの本は1851年刊行ですから、1856年版でも引用しようと思えばチャンスはあったわけです。しかしそうはなっていません。ちなみに第40回でご紹介したフレミングの『哲学語彙』は1857年の刊行でした。カールスレイクからの引用箇所が大きく重なっていることからも、『ウェブスター英語辞典』の編纂者が目ざとくフレミングの本を見て、カールスレイクの引用文を自分の辞書にも入れた……という空想も働きますが、定かではありません(当時の辞書編纂者たちが、お互いにお互いの辞書を利用し合っていたのは事実です)。
それはともかく、今回検分できた範囲では、この1865年版であれば西先生が参照する可能性がありそうです。1865年は「百学連環」講義の5年前、西先生がオランダ留学から帰国した年でもあります。
ただし、1856年の縮約版と1865年の辞書の間には、おそらく他にもいくつかの版がつくられているでしょうから、これをもって西先生が参照した版そのものだと断定するわけにはいきません。どの『ウェブスター英語辞典』かを特定する問題は、今後の調査課題とすることにして、「百学連環」の読解に戻ることにします。つまり、西先生は知ってか知らでか、アリストテレスの伝統に連なる「学術(Sciences and Arts)」の見立てを下敷きの一つにしていたというわけでした。