出版の自由を巡る議論に続いて、今度は新聞に話が及びます。
一千八百年來に至りては Newspaper 新聞紙大に盛むに行はれ daily, morning, evening, weekly, monthly, periodically の如く、日々に、朝夕に、月々に、一週每に、四季每に新聞紙を發せさるなし。故に英國なとにては平民新聞に依りて學フの外、別に學問を爲さすと云ふに至れり。
(「百學連環」第25段落)
上記のうち、periodicallyの左に「四季」と漢語が添えられています。では、訳してみましょう。
1800年代に至って、新聞がおおいに盛んとなった。日刊、朝刊、夕刊、週刊、月刊、季刊というように、新聞が発行されない日はない。このため、イギリスにおいては、市民は新聞によって学ぶほかに、これといって学問をしないということである。
定期的に刊行される新聞としては、17世紀のドイツ、イギリス、フランスなどで各紙が発行されました。しかし、ここまでのところで見てきたように、出版や言論の自由に対しては、大きな制限も課せられていたわけです。
実際に新聞がどのように読まれていたのかというところまでは、調べをつけることができませんでしたが、新聞を読めば事足りたという話は印象的です。思えばインターネットはもちろんのこと、テレビもなければラジオもなく、新聞もそれほど盛んでなかった時代に、一般市民のもとに定期的に社会や政治の出来事を報じる印刷物が届くということは、人がものを知り、考えるという環境においてたいへん大きな変化であり、影響があったに違いありません。この点については、今後の課題にしたいと思います。
さて、段落を変えてこのように続きます。
文と道とは元ト一ツなるものにして、文學開クときは道亦明かなるなり。故に文章の學術に係はる大なりとす。凡そ世上文章家たるものは殆ント其道に近かるへし。韓退之云文は貫道の器なりと。文盛んならすんは道開くるの理なし。貫道とは文章たるものは道を連貫して後世まても傳はるを云ふ。
(「百學連環」第26段落第1~6文)
上記のうち、最後の一文は、ポイントを下げて本文1行に対して2行の組み方をしてあります。注記のようなものでしょう。訳してみます。
文と道とはもともと一つのものであり、文学が開けるとき、道もまた明らかになるのである。このため、文章は学術と大いに関係している。およそ世上、文章家たるものは、ほとんどがその道に近いはずである。韓退之云文(韓愈)は「文とは、道を貫く器である」と述べた。文が盛んにならなければ、道が開けるはずもない。ここで「貫道」とは、「文章というものは、道を連なり貫いて後世にまで伝える」という意味である。
印刷術の話を終えて、話が「文」や「文学」に戻ってゆきます。
西先生は、「文と道とはもともと一つのものである」と、その関係の強さを強調しています。「道」と言われているのは、後に読む箇所で言及されるように「学術」と言い換えがきく概念のようです。つまり、「文と学術とはもともと一つのものである」という次第。
ここでまた漢文脈が現れます。韓退之(768-824)とは韓愈という名前のほうが通りがよいかもしれません。中国唐代の文学者、思想家です。彼の言葉として「文者貫道之器也」という表現が伝わっています。
この文句は、『朱子類語』などに見えるものですが、どうやら韓愈の文集である『昌黎先生集序』が出典のようです。西先生は、講義録では「文は貫道の器なり」としていますが、「覚書」を見ると、出典と同様「文者貫道之器也」と記しています。
人は、文によってある対象を捉え、脳裡で結び合わされた知を表現し、同時代の空間的な広がりの中で伝え、さらには時代を超えて後世にまで伝えるのである以上、学術にとって文はなくてはならないものです。西先生が「貫道」という言葉について説明したくだりは、そのことを強調しているのでしょう。