三省堂国語辞典のすすめ

その36 グリニッジ天文台はいま

筆者:
2008年10月8日
【現在のグリニッジ天文台】
【現在のグリニッジ天文台】

学校で習った内容でも、時が経つにつれて古くなってしまうことがあります。最近聞いた話では、源頼朝像とされてきた有名な肖像画は、今ではだれか別人の像ということになっているのだそうで、こうなると、何を信じていいのか分かりません。

東経、西経などというときの経度は、イギリスのグリニッジ天文台を南北に通る線を0度として数えるものだと、私などは習いました。ところが、旧版の『三省堂国語辞典』(第四版―第五版)を見て、おやっと思いました。たとえば「東経」の項目にはこうあります。

〈イギリスのグリニッジ(Greenwich)天文台の跡地(アトチ)を通る子午線(シゴセン)を零(レイ)度とし、それから東へ はかった経度。〔下略〕〉

いつの間にか「跡地」になっています。あのグリニッジ天文台はなくなってしまったと読み取れます。変転をきわめる世の中ですから、たとえそうでも不思議はありません。

【「跡地」とはこんな感じ?】
【「跡地」とはこんな感じ?】

折しも、今回の『三国 第六版』で「グリニッジ時」を項目に立てることになりました。それで、グリニッジ天文台は今どうなっているのか、確かめることになりました。

結論から言えば、グリニッジ天文台は、現在も厳然としてかの地にあります。有名な観光地であり、おおぜいの人が訪れています。一帯は世界遺産でもあります。

では、なぜ「跡地」と記されるに至ったかですが、もっともな理由があります。天文台(の機能)は1957年にハーストモンスー城に移され、さらに、1990年にはケンブリッジに移転したということです(※)。『三国 第四版』の出た1992年には、グリニッジ天文台は、たしかに一種の「跡地」だったことになります。ただし、建物自体は、当時も国立海事博物館の一部として存続していました。

現在はどうでしょうか。海事博物館のホームページによれば、1998年にケンブリッジの天文台が閉鎖されたのに伴い、グリニッジの建物の名称は、〈the Royal Observatory, Greenwich〉(王立天文台グリニッジ)に戻されたということです。つまり「グリニッジ天文台」です。これはちょうど、大阪城のことを、もはや城の機能はないのに、だれもが「大阪城」と呼ぶのに似ています。「大阪城址」とも言いにくいでしょう。

【もはや城ではないけれど】
【もはや城ではないけれど】

『三国 第六版』では、「東経」「西経」「グリニッジ時」の項目に「グリニッジ天文台」の名を記してあります。「旧」「跡地」などの表現は用いていません。

※ デレク・ハウス著/橋爪若子訳『グリニッジ・タイム』(東洋書林 2007)の訳者あとがきによる。

筆者プロフィール

飯間 浩明 ( いいま・ひろあき)

早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。

URL:ことばをめぐるひとりごと(//www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】

編集部から

生活にぴったり寄りそう現代語辞典として定評のある『三省堂国語辞典 第六版』が発売され(※現在は第七版が発売中)、各方面のメディアで取り上げていただいております。その魅力をもっとお伝えしたい、そういう思いから、編集委員の飯間先生に「『三省堂国語辞典』のすすめ」というテーマで書いていただいております。