「百学連環」を読む

第76回 特許局が博物館?

筆者:
2012年9月21日

博物館の話に続いて、今度はまた別の施設が紹介されます。読んでみましょう。

亞墨利加に Patent Office とて、古今の發明せしものを集むる廳あり。凡そ新タに發明せしものは其役所に差シ出し、其發明する所の品に依り、幾年之を專業と爲すことの許シを受け、其年間は敢て之を製することを他人に許さす。蓋シ是れ發明に至るまての辛苦と雜費とを其人に復せしむる意なり。此の如き法なきときは、偶發明せしは却て損はかりを得るなり。此法ある唯タ亞墨利加のみならす萬國皆しかり。佛國其役所を octroi と云ふ。又 Copyright なるあり。新タに著述せし書なとは其年數を限りて之を他人に開版することを許さす。其の中に Hereditary なるものあり。其著述人の心に依りて之を子孫或は他人に讓るの權あり。
右總てインスチチュションの中にして、皆大に學術を助け人智を開くに至れり。

(「百學連環」第33段落)

 

文中に現れる外国語のうち、以下のものについては左側に訳文が添えられています。

Patent Offce 保狀衙門
Copyright 著述の權
Hereditary 子孫讓リ

フランス語のoctroiは、現代の辞書を引くと、「(恩恵の)授与」「(昔の)物品入市税」などと見えます。

では、訳してみましょう。

アメリカには特許局(パテント・オフィス)といって、古今の発明品を集める役所がある。新しく発明したものをこの役所に提出すると、発明したものによって、それについて定められた期間、専業を許され、その間は許可を得た者以外の者はそれを製造できない定めである。というのも、発明者が発明に至るまで費やした手間暇と金銭とに報いるためである。このような法がない状況では、たまさか発明することがあったとしても、〔発明者は模倣者に真似されるばかりで〕かえって損してしまうばかりである。こうした法があるのは、アメリカだけでなく、万国に同じようにある。フランスではこの役所をオクトロワと言う。また、著作権(コピーライト)というものがある。新しく著述した書物などについて、決められた期間内は他の人が〔勝手に〕出版することを許さない〔という権利である〕。その中に相続権というものがある。作者の意志によって、著作権を子孫や他の人に譲るという権利である。こうしたことはいずれも施設の一種であり、これらはどれも学術を大いに助けて、人智を進展させるものだ。

今度は特許局が話題に上っています。博物館に続いて特許局が並ぶのは、なんだか変な気がしないでもありません。というのも、現在ではもっぱら博物館とは知識の殿堂と言いましょうか、事物を集積・整理して、来館者の閲覧に供する場所です。他方で、特許局とは、発明品の権利を管理する役所です。なぜ特許局がここに並ぶことになるのでしょうか。

幕末から明治初期の文献を見てみると、この二つのものが並ぶことは、それほどおかしなことではなかった様子が見えてきます。

前回は、話が必要を超えてややこしくならないように省略しましたが、実はそこで紹介した万延元年の遣米使節がアメリカで見聞した「百物館」(「副使村垣範正記述航海日記」)とは、museumの訳語ではありませんでした。

彼らが「百物館」と訳し、また同行した別の人が「博物館」(通詞の名村五八郎)、あるいは「物品館」(日高圭三郎)、「器械局」(森田清行)と称した施設は、ここで西先生が紹介しているパテント・オフィス、現代で言うところの特許局だったのです。

特許局といえば、西先生も述べているように、人が発明したもの、人工物がある場所ではないか、とつい思ってしまいます。実際のところはどうだったのでしょうか。この件については、椎名仙卓氏の『日本博物館発達史』(雄山閣、1988)に詳しく整理・解説されています。ここでは要点のみご紹介すると、どうやら当時のアメリカの特許局には、蒸気機関や各種機械装置、日常品などが陳列されている他に、ほ乳類の牙、鳥類標本、海草類まで置かれていたようなのです。そこで、椎名氏はこうまとめています。

結局、この Patent Office は、特許に関する資料が中心であったが、世界各地から収集された民族資料や自然史資料も陳列されており、今日的な表現での”総合博物館”の形態をもつ施設であったということがいえるのである。

(椎名仙卓『日本博物館発達史』、雄山閣、1988、p. 20)

 

そこに陳列されていたもののうち、どこに注目したかによって、「器械局」とも「物品館」とも「百物館」とも、そして「博物館」とも呼べる施設だった様子が窺えます。余談になりますが、遣米使節団の一行は、特許局をゆっくり見たかったようですが、丁髷のサムライたちを珍しがった現地の人びとにつきまとわれて、かえって見物される側になってしまったようです。

椎名氏によれば、「博物館」という呼称が日本語で通用するようになったのは、文久2年(1862年)の遣欧使節団が、ヨーロッパ各国で museum を見学した後のこと。前回引用した福澤諭吉の『西洋事情』も、そうした視察の見聞した成果でありました。

これもまた椎名氏も指摘していることですが、その「博物」という語は、『史記』や『左伝』などの漢籍に見える漢語です。そういえば、晋の張華に『博物志』の10巻がありました。同書は、森鴎外や南方熊楠も読んでいた書の一つです。博物館のように、森羅万象を総合的に集め、整理し、捉えようとする試みは、欧米のみならず中国の書物の世界にも見られた志向の一つでした。「百学連環」という、博く学術を見わたさんとする博物ならぬ博学的な試みもまた、どこかでそうした発想を下敷きにしているのかもしれません。

*

=〻(U+303B)

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。