「百学連環」を読む

第95回 真理の価値を漢籍で言うと

筆者:
2013年2月8日

前回は、真理を知ることで、術への応用もできるし、物事が容易になるという指摘がなされました。いわゆる「知は力なり」を力説しているくだりであります。改行を入れず、話は以下のように続きます。

そを講究して其眞理を知るときは開物成務、厚生利用、又孔子の語に飽食暖衣逸居の處に至るも亦容易なりとす。又養生喪死而無憾、或は書に黎民於變時雍との如き、此ハ是レ學たるの極にして、及ひかたしといへとも、其眞理を得るに至りてハ何そ其及ひ難きを患へん。又甚た容易なりとす。

(「百學連環」第40段落第19文~第21文)

 

訳してみましょう。

それを研究してその真理を知れば、さまざまなことが開発されて、事業も成し遂げられるし、物を役立てて生活を豊かにすることもできる。さらに、孔子が言う「十分に食べて、暖かい服を着て、気楽に暮らす」という境地も容易に実現できる。また、「家族を養うにも、死者を弔うにも、心残りがないようにできる」し、あるいは『書経』に言われる「人びとは変わり、互いに親しみ合うようになった」という具合にもなる。もっとも、これは学の極みであって、そこまで行くのは大変なことだとしても、真理を得るところまでこぎ着けられるなら、〔極みまで〕至るのが難しいといって嘆くことがあるだろうか。とても容易なことだろう。

ご覧のように、漢籍からの引用が畳みかけるように繰り出されています。では、なにが言われているのか。整理し直してみると、次の五つの文句が現れています。括弧内には、引用元と思われる書物を掲げてみました。

・開物成務(『易経』繋辞上)
 さまざまなことが開発されて、事業も成し遂げられる。

・厚生利用(『書経』大禹謨 ただし『書経』では「利用厚生」)
 物を役立てて生活を豊かにすることができる。

・飽食暖衣逸居(『孟子』滕文公章句上)
 十分に食べて、暖かい服を着て、気楽に暮らす。

・養生喪死而無憾(『孟子』梁恵王章句上)
 家族を養うにも、死者を弔うにも、心残りがないようにできる。

・黎民於變時雍(『書経』堯典)
 人びとは変わり、互いに親しみ合うようになる。

話を進める前に、漢文そのものについて補足しましょう。『孟子』「滕文公章句上」から採られていると思われる「飽食暖衣逸居」は、原文を見ると、面白いことに、必ずしもよい意味で述べられていません。前後を含めて引用すれば、こうなっているのです。

人之有道也、飽食暖衣、逸居而無教、則近於禽獣

(『孟子』滕文公章句上)

 

小林勝人氏の訳をお借りすれば、こんな意味になります(ただし、一部かなを漢字に書き替えました)。

人間の通有性として、衣食が十二分でぶらぶら怠けていてなんら教育を受けないと、殆ど鳥や獣と大して違わないものだ。

(『孟子(上)』小林勝人訳注、岩波文庫、p. 213)

 

なんだか耳の痛い言葉ですが、西先生の引用の仕方(切り取り方)とは、意味がだいぶ違いますね。『孟子』では、どちらかといえばネガティヴな文脈ですが、西先生の引用では、「無教」以下が含まれておらず、どちらかといえばポジティヴな意味となっています。

もっとも、「百学連環」のこのくだりでは、学を術として応用するという議論をしています。つまり、「無教」ではなく、むしろ「有教」の場合を論じているのですから、「鳥や獣」とは違う状況です。

さて、話を戻して、西先生が何を述べているのかを検討しましょう。

上で整理した五つの漢文は、いずれも人の生活に関わることでした。どの場合も、言ってみれば生活の質が向上したり、問題なく暮らすという状態を表していますね。

つまり、議論の大きな流れとしては、物事を研究して、それがどのような性質であるかという「真理」を突き止めれば、これらの漢文に示されているような状態も実現できるというわけです。

ただし、真理を知ることで、直ちにこうした効果が現れるわけではないでしょう。ここまでの講義を踏まえて補うなら、西先生の議論を、このように整理できると思います。

物事を研究する

真理を知る

真理を応用して術をなす

生活が向上する

つまり、「学」によって獲得された真理が「術」として応用・活用されることで、その結果として人びとの生活がよくなりうるという次第です。ただし、少々細かいことを言えば、最終的に生活が向上するか否かは、術の活用の仕方次第でもあります。いずれにしても、こうした議論によって、学が術として活用されて、役立つ側面が強調されていることに注目しておきたいと思います。福澤諭吉が「実学」を強調したことも連想されるところです。

こうして西洋の学術と真理の価値を論じるなかで、漢籍の教養が並置されているわけですが、このような論の組み立てによって、舶来の、まだ見慣れぬ学術や真理なるものが、聴講者たちにとって、身近なこととしてイメージされるという効果があったのではないかと想像します。

この漢籍の引用は、もう少し続きます。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
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時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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