「百学連環」を読む

第97回 西流ノート術

筆者:
2013年2月22日

前回、西先生が『孟子』を引用して、真理の効能を説くくだりを読みました。そこで、「百学連環」講義のための「覚書」から、『孟子』の抜き書きがしたためられている箇所を画像でご紹介しました。

私はうっかり見逃していたのですが、安田登さんのご指摘によって、この漢文が横書きで記されていることに注意を向けていただきました。ありがとうございます。

そう言われて眺め直してみると、西先生の「覚書」は、ほとんどが横書きです。おそらく、欧文を中心にして、そこに和文や漢文を並べてゆく都合上、そのような書き方になったのだと思われます。

本連載は、「百学連環」講義録の「総序」をじっくり読んでゆくことが主題ですので、「覚書」は必要最小限でしかご紹介しておりませんでした。今回は、少しばかり道草をして、ひとつ「覚書」のメモの仕方を覗いてみることにしましょう。この「覚書」は、『西周全集』第4巻(宗高書房)の297頁から587頁までと、300頁近い分量を占めています。

さて、西先生のメモは、多くの場合、先ほど述べたように横書きが中心です(図1)。

ここでは、横書きの和文中に欧文を書いている例を掲げてみました。和文も欧文も左から右へと進むので、無理なく読むことができます。これは、私たちもしばしば用いる書き方ですね。

「覚書」全体をよく見てゆくと、横書きだけではなく、いろいろなヴァリエーションがあることが分かります。まずは、縦書きの例を見ておきましょう。

ここに書かれているのは人名です。これは漢文や和文の従来の書き方として私たちも見慣れたものですね。カタカナでルビが振ってあります。

さて、次は横書きした欧文に、漢文を寝かせた形で併記した例です。

このように記すためには、まず欧文を横書きで書いた後に、紙を右に90度回転して、縦書きで漢文を書いてゆく必要があります。これは、言ってみれば欧文筆記の横書きと、漢文筆記の縦書きを両立させる配置です。しかし、一方を読んでいるあいだは、他方は文字が寝てしまうので、読みづらくなります。二種類の言語が併記されていながら、視覚の上では分離されているといってもよいでしょう。

もう一つ、欧文の横書きに対して、和文を寝かせて配置している例を見てみましょう。

これは、明治期の英和辞書などにも見られる表記法です。現代の英和辞書などを見慣れている眼で見ると、armyと同じように「陸軍」を横書きすれば見やすいのにと感じるところです。やはり、欧文とは別に和文を記す際、紙を90度回転させる必要がありますから、意識してこのように書いていたと思われます。

今度は、和文の縦書きの規則に欧文を従わせる配置です。

実際には向かって右側の文は、さらに下のほうに長々と続いた後に、ここに見えている左側の行に続いていますが、この図では文章の下のほうを省略しています。

ご覧のように漢字カタカナ交じり文中に欧文を書いています。欧文は文字を立てて書くわけにもいかないので、縦書きの和文に対して右に90度寝かせてあります。和文を書くときは縦書き、欧文を記すところにさしかかったら、一旦紙を左に90度回転させて書き、再び和文を書くために元に戻し……という具合に、紙の向きをそのつど変える必要があって、大変そうです。「覚書」の中では、あまり多くありませんが、このような書き方もされていました。

さて、最後は欧文は横書きで、和文は縦書きで記しながらも、書く人も読む人もいちいち紙を回転させなくてよい配置の仕方です。

しかし、この文章を読む人は、まず欧文の流れに沿って左から右へと三行にわたって”double chloride of phosphorus”と読んだ後、今度は縦書きの文の流れに沿って、「ヲ水中ニ投スレハ/コロール水ニ合シ……」と、今度は上から下へと四行にわたって和文を読むことになります。

面白いのは、欧文の phosphorus という単語の末尾のすぐ下に、「ヲ水中ニ……」と文が続いてゆくように書かれていることです。つまり、この欧文と和文は、一連の文として、配置の上でも途切れずにつながっているわけですね。自分のための「覚書」なのだから、文の流れや配置は自由でよいわけですが、初めてこの書き方に触れた折りは、「こんな書き方もあるのか!」とたまげてしまいました。

──と、いくつかの例を見てみました。西先生がメモに使っている言語は、日本語、中国語(漢文)、英語を中心に、単語のレヴェルでは、古典ギリシア語、ラテン語、フランス語、ドイツ語、オランダ語なども混ざっています。もしここにアラビア語やヘブライ語のように右から左へ向かう言語が入ってきたらどうなっていたのかと気になるところですが、そうした言語は見つけられませんでした。

こんな具合に複数言語を同一紙面にどう並べるかということについては、明治期前後の英和辞書などを見ても、さまざまな工夫があって、実に興味深いところです。そのことについては、雑誌『考える人』で連載している「文体百般──ことばのスタイルこそは思考のスタイルである」の第9回「辞書──ことばによる世界の模型」(2013年冬号、新潮社)でも触れておりますので、ご覧いただければ幸いです。

また、文字を記す方向についてご関心のある向きには、日本語の表記のなかに横書きが現れて定着してゆく過程を詳しく追跡した屋名池誠氏の『横書き登場──日本語表記の近代』(岩波新書、2003)もお奨めしたい1冊です。

今回は、つい脱線をしましたが、最後の最後におまけで、西先生によるイラストを一つ。

これはなんの動物を描いたものか、お分かりになるでしょうか。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。