前回は、少し読解の手を休めて、西先生のノートを覗いてみました。では、続きを読んでゆくことにしましょう。目下のところ、漢籍を引きながら、真理の効能について説いているところでした。話はこんな具合に続きます。
然るに世の多く政權を執るに係はる者、唯其眞理を得さるか爲に其職に在て、事に就て行ふに恐れ、勞すること許多そや。其元トとする所を知らすして、政を施すにも徒らに古來傳ふる所の規則なとに據り、近世の西洋の事なとを見聞し、其を徒らに信して自分流義に斟酌して行ふか故に、瞭然たる白日に出ること能はす、唯暗夜に物を探るか如くなるへし。
(「百學連環」第40段落第28文~第29文)
訳してみます。
ところが、世の政権を執ることに係わる者の多くは、そうした真理を得ない。そのために、仕事をするに際しても、事について行うのを恐れ、苦労することがどれほど多いことか。〔政治を行うにあたって〕その元となること〔真理〕を知らないままで、政治を行うにしても、訳もなく昔から伝わる規則などに則ったり、近頃の西洋事情などを見聞し、訳もなくそれを信じて得手勝手に解釈して行ったりする。だから、はっきりとものが見えるはずの太陽の下に出ることができず、ただ暗い夜のなかでものを探るような体たらくなのである。
ここでは政治が例に取られていますが、他の場面や状況にも言えることだと思います。何事かをなす際に、それが妥当なことか否かではなく、昔からやっていることだから、規則だからとか、前例がないからといった話は、いまでもあちこちで耳にするところです。
また、舶来の新しいアイディアを鵜呑みにして担ぎ回るということについて、この時代すでにこうして釘を刺していたというのはなんだか面白いことです。いえ、より切実だったのかもしれません。そういえば、もう少し後のことですが、福澤諭吉や夏目漱石なども、口を揃えて同じことを注意していました。果たして、それから100年の後のいまはどうでしょうか。
さて、そのように注意を促した上で、西先生は具体例を使って説明を続けます。
是を當今の庸醫に譬ふれは古來據る所の書は傷寒論なり。然るに近來西洋の醫藥なるキニー子、オヒユム、モロヒ子なとの功能あるを徒らに聞き、而して其據る所の傷寒論中の藥種に調合して是を病人に用ゆるときは、其病に利なきのみならす、其人を害する許多そや。是卽ち其病に由りて藥種の功能ある所以の眞理を知らさるに據る所なり。恐れさるへけんや。
(「百學連環」第40段落第30文~第33文)
現代語にしてみます。
さて、このことを、近頃の藪医者に譬えてみよう。彼らが昔から拠り所にしているのは『傷寒論』である。ところで、近年西洋の医薬品であるキニーネ、オピウム〔アヘン〕、モルヒネに効能があると聞き、そうして拠り所とする『傷寒論』の薬と調合し、これを病人に使ってしまう。〔そんなことをして〕病気に効果があるどころか、病人を害してしまうといったことがどれほど多いことか。なぜこうなるかといえば、病気によって薬の効果がある理由について真理を知らないからである。なんとも恐ろしいことではないか。
ご覧のように具体例としては、医術が例に取られています。少し補足すると、ここで書名の挙がっている『傷寒論』とは、中国は漢の末期(3世紀はじめ)に張仲景によって編まれたとされる医学書『傷寒雑病論』に由来する書物です。
現在でも風邪のときに飲む葛根湯のような漢方の処方も、同書に見えるものです。古い書物ではありますが、日本では例えば、江戸時代に古医方派の医者たちは、『傷寒論』を研究していました。
また、キニーネは、キナの樹皮から取れるマラリア治療薬。アヘンは、ケシ由来の薬品で鎮痛・催眠などの作用が、モルヒネはアヘンの主成分で、鎮痛作用と共に陶酔感をもたらす作用がある薬品です。アヘンとモルヒネは、いずれも中毒症状をもたらすもので、西先生との19世紀つながりで言えば、トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』(1822)やコナン・ドイルが創作した名探偵シャーロック・ホームズがモルヒネ中毒だったことなども思い出されます。
それはそうと、西先生は、薬がなにに対してどのように効くのかということを、正しく理解しないまま、西方と漢方を混ぜて処方してしまう医者の姿を描いてみせたのでした。それもこれも、薬と病気(人間の身体の状態)との関係について、真理を知らないまま事を進めてしまうからだ、というわけです。こんな恐ろしい例を出されては、講義を聞いたほうとしても記憶に深く刻まれるのではないでしょうか。
そういえば、円朝の『怪談牡丹燈籠』では、医者でもないのに行きがかり上、治療の真似事をすることになった人物に、「実は己ア医者は出来ねへのだ 尤傷寒論の一冊位は読んだ事は有るが」(『円朝全集』第1巻、岩波書店、122頁)と言わせていました。藪医者、偽医者と『傷寒論』を結びつける表現は、いつ頃から見られるものか存じ上げないのですが、こうした言い回しから、『傷寒論』が医事と結びついた一種の教養であった様子も窺われますね。
もっとも、気を付けなければならないことは、『傷寒論』が問題なのではなく、それを訳も分からず使おうとする藪医者のほうに問題があるということであります。