「百学連環」を読む

第99回 真理を知る二つの道

筆者:
2013年3月8日

真理とその価値をめぐるやや熱のこもった説明を終えて、講義は「真理」に焦点を当てながら、次の話題に転じてゆきます。

さて其眞理を知るに二ツの區別あり。
positive result, negative result にして、善を知り、又惡を知り、用を知り、又不用を知るか如き、不用のものも知るといふ義なり、其表裏の理を知る是なり。

(「百學連環」第40段落第34文~第41段落第1文)

 

上記のうち、positive result と negative result には、それぞれ「陽表效」「陰表效」という漢語が、その左側に添えられています。また、下線を付した箇所は、行の左側に傍線が引かれていることを示します。

現代語に訳せばこうなるでしょうか。

さて、その真理を知ることについては、二つの区別がある。

つまり、positive result と negative result である。これは、善を知るとともに悪も知り、役立つことを知るとともに役立たないことを知るという具合に、〔必ずしも有益なことだけではなく〕無益なことについても知るという意味である。言い換えれば、物事について、その表裏の理を知るということに他ならない。

ご覧のように、今度は、真理を知る際の二つの仕方が話題となります。その二つが、positive result と negative result というわけです。これは一体どういうことでしょうか。

上で述べたように、西先生はこれらの言葉に「陽表效」「陰表效」という、私たちからすると見慣れぬ訳語を当てています。positive と negative が、「陰陽」という中国思想に由来する対義で捉えられてる様子が窺えますね。

これらの語は、現在でも、例えば、「ポジティヴ・シンキング」「ネガティヴ・シンキング」という具合に、対で用いることがあります。この場合は、「積極的」「消極的」とでも訳すべき意味でありましょう。

それから、医学などの領域では、「陽性」「陰性」を、positive、negative と表したりしますが、漢方の方面でも病の状態を「陽証」と「陰証」と区別するようです。また、これとは別に数学の世界では、positive、negative という語で「正の数」「負の数」を表します。

ものは試しと、Google books で、19世紀の書物に対して、positive result と negative result の二つの語で検索をかけてみると、果たせるかな、数学書(主に代数関係)や医学書がずらりと並びます。

西先生が、こうした同時代の書物や雑誌をどこまで目にしていたかは分かりませんが、表現自体はこのように使われていた様子が窺えます。ここではそれが、真理を知る仕方について使われているのでした。

さて、残る result という語には、「效」という語が当てられています。当世流に記せば「効」のこと。これは、力が発揮された結果、物事の結果としてあらわれるしるしといった意味です。現代の英和辞典などでは、「結果」「成果」などと訳されることが多いでしょうか。

これだけでは、「陽表效」「陰表效」という言葉で、西先生がなにを言わんとしているのかは、まだ分かりません。

ただ、「善を知るとともに悪も知り、役立つことを知るとともに役立たないことを知る」という例が手がかりになるでしょうか。ここで「善を知ること」が「陽表效(positive result)」に、「悪を知ること」が「陰表效(negative result)」に対応していると思われます。さらに「用」「無用」という例が重ねて例示されています。つまり、「陽表效」は「役立つことを知る」、「陰表效」は「役立たないことを知る」に対応しています。

これはどういうことか。そのことが、今回読んでいる文章の最後に示されています。言葉を補って言い換えれば、物事の真理を知る道には、その表裏の両面から知る二通りがあるということです。「表」だけ知るのが真理に迫る道ではなく、それと同時に表には現れない「裏」を知ることもまた真理に迫る道である。このように整理されています。

素朴に考えれば、なにが善であるかを知ろうという場合、善ではないものも知らなければ知りようがありません。果たして西先生は、そのようなことを説明しようとしているのでしょうか。次回、先を読んで参ります。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

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細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
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