日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第71回 「猛禽」について

筆者:
2014年10月19日

語には「語がある以上,その指示対象もちゃんとあるはず」と思わせる力があり(前々回),そのことは特にモノを表す語に顕著に見られる(前回)。つまり,「坊っちゃん」や「お嬢様」のような語(キャラクタのラベル)には,「ことばがある以上,そういうキャラクタもちゃんとあるはず」と思わせる強い力がある。

このことをまざまざと感じさせてくれるのは,瀧波ユカリ氏のマンガ『臨死!! 江古田ちゃん』(講談社)にたびたび現れる,「猛禽」(もうきん)というキャラクタのラベルである。

このことばが指し示している『猛禽』キャラとはどのようなキャラクタなのか? 主人公の江古田ちゃんたちによれば,それは「走ればころび,ハリウッド映画で泣き,寝顔がかわゆく,乳がでかい」(第1巻5頁)という,世の男性にとって魅力的な諸特徴を備えた一種の『娘』キャラで,「狙った獲物(男性)は決して逃がさない」(第1巻5頁)というところから,ワシやタカなどの猛禽類にたとえられてこの名が付いている。下位類としては妹のような『妹猛禽』(第1巻125頁),一見猛禽らしくない『かくれ猛禽』(第4巻55頁・第5巻56頁)などがある。

なんだ,『ぶりっ子』のことじゃないかと思われた方もいるかもしれないが,江古田ちゃんに言わせれば『ぶりっ子』と『猛禽』は別物である。「ひと昔前に生息していた「ぶりっこ」は 時がたつにつれ 男共に ことごとく本性を見抜かれ ぜつめつした」「そして試行錯誤の末 新たに誕生した「猛禽」は 我々の予想を はるかにこえる 完成度をほこっている」「聞き上手で」「下ネタにも寛容」「ほっとかれてもふくれず」「ブサイクにもやさしい」(第1巻25頁),「ことりの声に耳をすまし」(第1巻74頁),喧嘩を見れば「ショックで立てない」(第1巻117頁)という。

つまり,『二枚目』キャラを演じようとする意図を露呈させてしまった者が『二枚目』キャラになりおおせず,『キザ』キャラという破綻キャラ(本編第74回第75回)に認定されてしまうように,『ぶりっ子』は『かわいい子』を演じようとする意図を周囲に感知させてしまっているため『かわいい子』ではなく破綻キャラ『ぶりっ子』としてしか認知されない(そして今日では絶滅した)。それに対して『猛禽』は,『かわいい子』を演じようとする意図がその言動に決して現れないという。

では,そのような『猛禽』が『猛禽』であって『かわいい子』でないという証拠はどこにあるのか? 演じようとする意図が言動に決して現れないなら,『猛禽』とは正真正銘の『かわいい子』ではないのか? それを認めず『猛禽』などと言い立てているのは単なるヒガミではないかと,江古田ちゃんは周囲から白眼視される(第3巻85頁)。いや,それどころか江古田ちゃん本人も自信を失い(第1巻25頁),『猛禽』は本当に『猛禽』か,どこまでが計算なのかと悩むことさえある(第1巻54頁)。

しかし結局のところ江古田ちゃんの直感は間違っていなかった。男たちからチヤホヤ介抱してもらうことを狙って,酒に酔いつぶれた演技をしたものの,当てが外れて男たちはソソクサと帰ってしまったが,今さら演技をやめるわけにもいかず困っているという『猛禽』の様子が(登場人物のセリフではなく)地の文で「ひっこみがつかない」と記述されることによって,(少なくともこのマンガ世界の)真実が明らかにされる(第3巻97頁)。『猛禽』はやはり『猛禽』であったのだ。

ちなみに,この『猛禽』は「翼の折れた猛禽」と記されている。(続)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。