クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

121 耳の文化と目の文化(32)―地名の表記(6)―

筆者:
2011年11月14日

ドイツ語正書法では [f] の音は f で表記するが、Vater [fa:tɐ]「父親」、viel [fi:l]「たくさんの」、von [fɔn](前置詞)「…の」、verstehen [fɛɐʃte:ən]「理解する」などのように、v による歴史的表記のものが、少数ではあるが重要で頻繁に使われる語であるため、しぶとく残っている。(ちなみに、Universität [univɛrzitɛ:t]「大学」などの、ラテン語などからの借用語における v は [v] の音である。)

[f] の v による表記は地名ではけっこう残っている。とくに北ドイツで多く見られるようである。ニーダーザクセン州の Hannover ハノーファー、Vechta フェヒタ、ブレーメンとひとつの州を形成している Bremerhaven ブレーマーハーフェン、ブランデンブルク州と首都ベルリンを通ってエルベ川に流れ込む Havel ハーフェル川などの v はすべて [f] の音である。ただ、ビールの銘柄としても知られているニーダーザクセン州の Jever イェーファーはイェーヴァーとも発音される。また、Hannover の v は [f] の音であるが、Hannoveraner ハノヴェラーナー「ハノーファーの人」という派生語では、強勢が Hannover の v の前の [no] から Hannoveraner の v の後の [ra:] へ移動すると v は [v] の音になる。これはヴェルナーの法則と呼ばれるものであるが、このように v による表記は [f] と [v] がきわめて近い音であることを表している。

Bremerhaven の他にもニーダーザクセン州には Wilhelmshaven ヴィルヘルムスハーフェン、Cuxhaven クックスハーフェンがある。これらの語における haven は「港」の意味であり、これはもともと低地ドイツ語である。(ちなみに、英語にも haven「港」があり、その v は [v] の音である。)この低地ドイツ語が高地ドイツ語に入り、Hafen と f で書かれるようになった。従って、ラインラント=プファルツ州の Ludwigshafen ルードヴィヒスハーフェンもバーデン=ヴュルテンベルク州の Friedrichshafen フリードリヒスハーフェンも f で表記されている。

南ドイツにも v で書かれる地名として Vaihingen ファイヒンゲン、Villigen フィリゲンなどがある。これらの v も [f] の音を表している。ただ、Ravensburg ラーヴェンスブルクの v は [v] であるが、これもときに [f] の音で読まれることもあるようである。

ノルトライン=ヴェストファーレン州の都市に製薬会社バイエルの本社がある Leverkusen レーヴァークーゼンがある。この v は [v] の音である。ただ、この町は化学者の Carl Leverkus にちなんで名付けられたので、人名に固有の要素もあるから一律には論じられないであろう。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新田 春夫 ( にった・はるお)

武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)