クラウン独和辞典 ―編集こぼれ話―

122 耳の文化と目の文化(33)―地名の表記(7)―

筆者:
2011年11月21日

ドイツ語正書法では [t] の音はtで表す。しかし、ギリシア語起源の Theater [tea:tɐ]「劇場」、Mathematik [matemati:k]「数学」、Mythe [my:tə]「神話」などの語はドイツ語では気息音のhがないにもかかわらず原語のまま th で表記される。

ところでこれとは関係はないが、ドイツ語圏の地名の中には [t] の音が th で表記されるものがある。中部ドイツの州の Thüringen テューリンゲン、バイエルン州の、ワーグナーの祝祭劇場で名高い Bayreuth バイロイト、ドイツで初めて鉄道がニュルンベルクから敷かれた Fürth フュルト、ドナウ河畔の Donauwörth ドーナウヴェルト、また、スイスの州の Thurgau トゥールガウや都市 Winterthur ヴィンタートゥーアなどである。

Thürigen の地名はゲルマン部族のひとつのテューリンゲン族に由来する。中世語では Duringen, Türingen などと書かれていたから t による表記でいいのだが、更にそれ以前の5世紀末にはラテン語で T[h]oringi, T[h]uringi と th による表記もあったので、近世以降はそれを基にしているとも考えられる。

Bayreuth の bay- は「バイエルン族」を意味する初期中世ドイツ語の Beiera、-reuth は「開墾地」を意味する riuti から来ている。従って、-reuth は -reut と表記してもいいものである。ちなみに、これには -rod[e], -rath, rad[e], -reut, ried などの異形がある(Gernrode ゲルンローデ(ザクセン=アンハルト州)、 Benrath ベンラート(ノルトライン=ヴェストファーレン州)、Autenried アウテンリート(バイエルン州))。

Fürth は Frankfurt フランクフルトの -furt と同じく、「歩いて渡れる川の浅瀬」を意味する語に由来するからこれも t の表記でいいものである。

Donauwörth の -wörth は中世語の「川中島」を意味する wert から来ているから、tの表記が本来である。-wörth は -werth、低地ドイツ語では -werder などの異形があり、このような地形は各地にあるので地名としては前に他の語をつけて区別している:Kaiserswerth カイザースヴェルト(ノルトライン=ヴェストファーレン州)、Finkenwerder フィンケンヴェルダー(ハンブルク州)。従って、Donauwörth はもともとは「ドナウ川の川中島」という意味である。

スイスの州名の Thurgau はこの州にある村のひとつ Turgi に由来する。従って、州名の Thurgau の th も t でもかまわないはずのものである。また、Winterthur という地名もケルト起源の名前にも基づくローマ人の居住地 Vitudurum に由来すると考えられているから、本来 -thur は tur と表記されてもいいものである。

筆者プロフィール

『クラウン独和辞典第4版』編修委員 新田 春夫 ( にった・はるお)

武蔵大学教授
専門は言語学、ドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

編集部から

『クラウン独和辞典』が刊行されました。

日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

(第4版刊行時に連載されたコラムです。現在は、第5版が発売されています。)