「東」に「あがり」と振り仮名のある名札を付けたバスガイドさんは、「西」の日(太陽)の「いり」の反対だと話してくれた。「北」と書いて「にし」と読ませる民俗方位とともに印象的な読み仮名だ。「残波」(ざんば)岬に着き美しい海を眺めた。12月末だが温暖な気候のために、まだホテルの屋外のプールに入れる。亜熱帯地域である。
沖縄平和祈念資料館、平和の礎(いしじ)と回る。沖縄は、戦前から戦中とずっと本土のために耐えてきたことが痛いほど分かる。今だってそうだ。その石碑には、「仲村」「瑞慶覧」「(双×牛)宮城」、そして「饒」「嵩」「銘」などの字が含まれた姓の数々、地元で犠牲となった方々にいたたまれなくなる。「ンカイ ンガイ」などの名前も彫られていた。「カマルー小」の「小」はグヮーと読むものだろうか(「小」で「ぐゎー」は、生産性をもった地域訓となっている)。「宮城仲宮城」は5字姓ではなく2名の夫婦の姓であろう。北海道の「蛯子」「蛯名」姓も目に入った。
今は、基地が沖縄県の面積の1割ほどを占めていて、頭上に爆音が轟き、会話が聞こえなくなる。第二次大戦では、アメリカ軍が上陸し、激戦場となり、多くの尊い命が失われた。数名に一名の割合で亡くなられたそうだ。それでも笑顔を絶やさない沖縄の人たちの気持ちを考えるとやりきれない思いとなる。
地名には「矼」という字も目に付いた。JIS漢字について調べ直した際の『国土行政区画総覧』除去号でも、復帰したばかりの沖縄の地名として、「比謝矼」(ひじゃばし)などの中で繰り返し目にしていた。ほかには国際的な由来をもつとされるものもあり、「糸満」(いとまん)には、かつて漂着した8人のイギリス人からエイトマンが訛ったものとの説もある。
「海人(うみんちゅ)」と書かれたTシャツをあちことで目にする。「島人」「大和人魂」とプリントされたものも売っていた。本土(「大和」)に住む人たちは「大和(やまと(とぅ))人(んちゅ(ー))」、今では「ないち(内地)ゃー」と呼ばれ、drive(ドライブ)がdriver(ドライバー)になるように英語の影響で語尾に英語の「er」が付いていると意識する人も多い(アメリカ人など外国人をアメリカンではなくアメリカーと呼ぶのも同様で、那覇の人をも「なーふぁー」と呼ぶ)。実際に「内地er」と書く人がいるほか、「Nai地er」という店名もある。
「涙(なだ)そうそう」は曲名として有名になった。「花」を「ぱな」と読ませることも曲に見られる。こうした語頭などに現れるp音は、本土の奈良時代の古音の残存とも解されている。そうすると訛語とも呼びにくい。琉球の音楽は、レ・ラ抜き音階で耳に染みる。「三線」をサンセンではなくサンシンと読むのは、5母音のうちエ段がイ段に、オ段がウ段に原則として吸収され、3母音となったことによる地域音であろう。「泡盛」は和語だが、「古酒」(くーす)は地域音である。「紅型(びんがた)」は本土でもファンが増えつつある。
与論島(よろんじま 観光地として海外のイメージを持たせるために「じま」を「とう」と変えたとの話もある)など薩南諸島も「内地」と語る那覇市出身の学生がいた。「ウチナ(-)ンチュ(-)」は、沖縄の人という意で、貼り紙に「地元」に「ウチナーンチュ」とルビを書いたものも見かけた。Tシャツでは「風遊人」も見かけ、ローマ字でHuyunaとも振ってあったようだ。沖縄のことばで、怠け者のことだそうで、字義をふまえた音訳なのだろう。伊波普猷も「ふゆう」という名がその発音と通じることを嫌がっている文を見たことがある。